2006年06月28日
2006年6月28日——最終回
「○○ちゃん(私のお店での源氏名)だから言うけど、実はお店、夏過ぎには完全にデリバリー型に変更する方向になってるんだ」
お店を辞めて1ヶ月が過ぎていた。店長を誘って、ふたりである居酒屋で飲んでいると、彼がふとそんな秘密を私に漏らした。今年の7月末までに、既存の風俗関連の営業許可店は、営業場所を警察に再提出し、警察官の立ち入りのもとでその確認をとるという改正風営法が施行されたのが、今回の変更の理由だという。
無店舗型特殊風俗店としての登録を以前に済ませたうちのお店は、しかし実際には受付とレンタルルームを両方同時に営業している。本来はそうしたやり方には、ホテルや客の自宅での出張サービスを行う無店舗型風俗店ではなく、受付に連動したプレイルームをもつ店舗型風俗店としての許可が必要だ。しかし現状では新規に店舗型風俗営業の許可を得るのはほぼ不可能な状態にあって、それでも無店舗型営業での、単価の値上がりや客の管理の不徹底等のリスクを考慮して、うちのお店のように紙面上では別々の営業許可を得る一方で、実際には連動した経営を行う風俗店は都内でも少なくない。今回の風営法の改正は、そういった形態をとる風俗店を撤廃させていく狙いのもとで行われているようだ。
厳密な許可店として再申告を行って、正式に堂々と風俗営業を続けていきたい、と彼は言った。女の子の安全管理はどうするのかとか、ホテルへ入るときはどういった手続きを踏むのが妥当かとか、私たちはお店のよりやりやすい営業のために、女の子の立場から、お店の立場から、ふたりの意見を言い合った。酔っぱらいながらではあるけれど、私は、ひとりの接客担当でしかない自分が、雇用者である彼とそんなメタフィジックな話ができること、その彼の私への信頼が、ただ単純に嬉しかった。
ひとりふらっと地方からやって来た年下の彼が、将来は風俗で独立したいと思っているのを私は知っていた。こんなヤクザな仕事に向上心とプライドを持っている彼の不器用だけど誠実なところが私は好きだったし、彼も接客を楽しむ私をよく理解してくれている、と私は感じていた。いくつかの私的な用件が重なって、私はこのお店を辞めることになったが、それでも私はうらぶれて適当でなれなれしくて、でもちゃんと誇りをもってて居心地のいいこのお店で、しばらくしたらまた働きたい、と彼には再三告げていた。「○○ちゃんの場所はずっと空けとくから」。彼も私に気兼ねなく店に戻るように幾度となく打診してくれた。
終電で集まって、朝まで飲むと決めたものの、前日お店でトラブルがあったという彼は、もうすっかり睡魔に襲われていた。
「昨日緊張しすぎてもう身体ガタガタだー」
普段は虚勢を張る彼が、珍しく弱音を吐いた。
「そりゃそうですよ。お疲れでした」
私も彼に口を合わせる。
「あー久しぶりに○○ちゃんのマッサージが受けたいな……」
ちらっと彼が私を見る。試すようなその台詞に、私は言葉の真意を測りかね、一瞬返答に戸惑った。
私はお店では、客に対して性的サービスとともに、リンパ系のマッサージを提供してきた。彼の提案が仕事上のものなのか、個人的なものなのか、さらに個人的ならそれは純粋に裏のないものなのか、様々な考えが浮かんだ。
……あ、でも私のマッサージのやり方を見て、彼は今後のマッサージ講習の参考にしたいのかもしれない。
これまでの私と彼のやり取りを省みると、それが一番妥当な彼の意図だった。どこかで習ったわけでもないけれど、それでもお店でずっと続けてきたマッサージに、私も自分なりに自信を持っていた。その少しの技術が、彼を介してお店に引き継がれるならそれはそれでうれしい。
「うん、いいですよー、えっと、もしや性感も?」
私は冗談めいてあけすけに彼に言葉を返した。
「いやいや、それはいいですよー。さすがにー」
抑揚のないしゃべり方は、彼の地方の訛りだ。
「……あ、でもお金とりますよ。マッサージだけでも」
「はいはい、もちろんですよー」
感情の読めない口ぶりに、どこまで本気なのか私は思いあぐねた。しばらくして話はそれたが、しかし夜半を過ぎると彼も私も、いい加減飲むペースが落ちていった。店員がラストオーダーを取りにまわってくる。それを断り私たちはお会計をお願いした。始発にはまだ早かった。
「うわ、くさーいね」
「くさいですねぇ」
居酒屋を出て最初に吸う繁華街の夜の空気に、飲食店から出された大量の生ごみのにおいが混ざっている。昼間には隠されていた人工空間の膿のようなものが、コンクリートには不釣り合いなこの血生臭い腐臭にまぎれているようで、それを嗅ぐと私はいつも気持ちがざわめいた。なんというか、禁じられたものをみるような背徳感に似ている。
「……さて、どうしましょっか?」
先を思いあぐねて私は彼に踵を返した。
「え、……マッサージしてくれるんじゃなかったの?」
彼はあっさりそう答えた。
「あ、そうでしたね……じゃあ、こっちか」
私は背の低い雑居ビル群の奥を指差した。鍵は彼が持っている。目指すのは繁華街から少し離れた川向こうの、受付とプレイルームのあるマンションだ。
「……本気だったんですねぇ、じゃあほんとにお金とりますよ?」
歩きながら私は彼に話しかけた。
「いいですよー」
私と彼が、仕事上でお互いを認め合った素敵な関係にあればこそ、時間外に講習のようにマッサージをしてみせるのも、また素敵なことではないか、私はそう思った。
性を扱う私たちの、性に関するやり取りは、いつだって客観的だ。私はわずかに感じた、「店長」ではなく「男」としての彼への猜疑心を打ち払った。私たちのこの文脈では、性は溺れるものではなく、売るものだ。性的に私が彼を(彼が私を)意識するなんて、私たちの自意識が許さない。「あ」、しばらく歩いたところで、彼が突然大きな声を上げた。
「……そういえばルームにM君(お店の従業員)が泊まってるの忘れてた!」
回りくどい言い回しに私はきょとんと彼を見た。しかし私には彼の言葉を信じない理由が見当たらない。私はこう答えた。
「M君!! いいですね、会いたいかも……」
「……いや、それはまずいでしょ」
「……なんで? あれ、今日あたしと飲むって、M君に言うの忘れてました?」
「いやぁ、……あの、でも疲れてるから、マッサージはどうしてもしてほしいんだよね」
「だからそれはいいけど……でもどこで?」
彼が私の質問をごまかしたことは明らかだった。でも私の考える私たちの関係は、それが私の誤解にすぎない可能性をすぐに認められるほど私にとって簡単なものではない。彼は立ち止まった。何度も通い慣れた道だった。ルームに行くにはさっきの居酒屋から橋を渡り、ラブホテル街をぬけなければならないことなど、私だって最初からわかっていた。
「っていうか、あの、……実はほらさっきうちがデリバリー化するっていったじゃん? 調査したいんだけど、それも含めてつき合ってくれない?」
歩道に面した一件のラブホテルの入口の前で、彼が私に話しかけた。
「えー、……そんなのひとりで行きましょうよ」
「いやいや僕も行ったんだけどさ、名刺もってね、話しして、でも店員に気持ち悪がられちゃってひとりじゃ入れてもらえないんだよ」
「でも、ホテルはさすがにちょっとあれじゃ……」
「お願い、休憩だけだから、協力してくれない? ○○ちゃんしかこんなの頼めなくって……」
「……えー……」
とっさにふたつの思いが頭をよぎった。ラブホテルは、人と人とが愛し合う目的で行く場所である。私と彼は、性を売り物とする仕事上の関係者である。……この矛盾にあってすら、後者を否定するなんて私にはできなかった。少しの不安もないと言えば嘘だ。でもそうであっても彼に、さらに言えば2年続けたあのお店に、自分の居場所を認められていることを信じたい自分自身のために、私は今の状況においてこそ、盲目的に彼の言葉を受け入れるしかなかった。プロである限り性的にお互いを意識しないという自意識を強調したいからこそ、私は極めて個人的で性的なこの場所に、踏み込むことを拒みたくはなかった。
「……いいけど、絶対変なことはなしですよ!」
「当たり前じゃないですかー」
殺風景なホテルの一室に入ると、まず彼は服を脱ぎシャワーを浴びた。水泳をやっていたという、上半身だけ妙にがっしりとした彼の裸は見慣れていた。待っている間私は彼の洋服を慣れた手つきで丁寧に折り畳んだ。まるで接客しているように。私は彼に教えられたいつもの手順をなぞる。彼がシャワーから出てきた。
「じゃあ、ベッドの上に横になって下さいね」
「……あ、はい」
彼も居酒屋にいたときとは違う、どこかよそよそしい私の言葉に、すんなりと口裏を合わせた。腰にタオルを巻いた、うつ伏せの彼の背中にまたがり、私はいつものように力を込めてそれを上からゆっくり親指で押していった。アロマオイルはホテルの備品の乳液で代用した。
「うーん、気持ちいいよ。やっぱ○○ちゃんのマッサージいいねぇ」
「そうですか? 嬉しいっす」
まるでひと組の客と風俗嬢のようだった。
彼にとっては、それは夏へ向けてのシミュレーションなのだ。私はそう思った。
よっぽど疲れていたのだろう、しばらくすると彼はそのまま寝息を立て始めた。私は彼から離れ、ソファーでタバコに火をつけた。始発にはまだ1時間ほどある。さて、どうしようか。私はバスローブを彼の背中に掛け、有線のボリュームを落とした。このまま少し眠ろうか。私は長いソファーの肘掛けに足を上げた。
「……はっ!」
小さなうめき声とともに彼が目を覚ました。あわてて彼に向き直った。
「もうちょっとしたら、帰りますね。寝てていいですよ」
「……あ、うん……」
彼はうつ伏せで顔を向こうにむけた。少しの沈黙が流れた。
「……あの、○○ちゃん、お願いがあります」
突然彼が再び私の方に寝返りを打った。
「へ? ……な、何ですか改まって」
彼は起き上がり、ソファーの私と向き合うかっこうでベッドに腰を掛けた。
「あの……あの、今日だけ一緒に寝て下さい!!」
それはまるで中学生の愛の告白のような愚直さだった。お店では「立場を理解しない面倒な客」と判断されかねない規定外の台詞だ。私は言葉を失った。しかし一方で視点を変えれば、予想外の展開というにはあまりに不誠実な状況に、すでに私たちがあるのは明らかだった。このマニュアルにはない告白が、雇用者と労働者の立場を逸脱した行為であることはさすがの私にも判断がつく。彼が私に頭を下げた。
「……いや、あの……無理ですよ」
しかし彼は引き下がろうとはしなかった。押し問答が始まった。断る私の手を取って、彼は私にお願いしますと頭を下げた。
「そんな、やめて下さいよ……」
小さな目で彼が私を見上げた。見たこともない、「彼らしくない」彼の表情に、私はどうしていいのかわからない。
「……寂しいんです。僕」
とうとう彼がそう言った。
お店では絶対にあり得なかった彼の弱音だった。彼が友人もなくたったひとりで東京にやって来て、毎日受付で弁当を食べて寝泊まりして、プライベートなんてほとんどない仕事漬けの日々を送っていることは知っていた。「若いんだから彼女つくればいいのに」と女の子たちが冗談めかしても、「いや、自分今は仕事が一番ですから」と決まった文句を繰り返していた彼も知っていた。そういった状況が一般的にいわゆる「寂しさ」を醸し出すというのなら、彼が「寂しい」のなんて最初から知っていた。私は声を荒げた。
「なんですかそれ。だったらいくらでも他の女の子と遊べばいいでしょ!? デリヘルだって何だってあるじゃん!! 電話一本で可愛い女の子すぐ来てくれますよ!!」
彼は首をしなだれて小さな声でこう言った。
「……○○ちゃんがいいんです」
「……それがどういう意味かわかって言ってます? あたしと店長には、お店での関係があるでしょ? それ壊すつもり!?」
「……いや、そんなつもりで言ってるんじゃなくて、ただ○○ちゃんが魅力的だから……」
「魅力的って、それを商品として売ってるんだから当たり前でしょ? 商品価値があるって言ってるにすぎないですよ私たちにとっては」
「……そんな言い方しないで。少なくとも僕は女の子のことそんなふうに見て接してないし……」
「……」
それは当たり前だと思った。あからさまにモノとして扱われたら、気持ちよく働いたりなんてできない。
「お願いします!」
言い出すと異様に粘り強いのも彼の性分のひとつだった。
「だから、もしそれ受け入れたらどっちかがあの店追われるんですよ! 店長辞めてもいいんですか!?」
怒りに任せていった言葉に、私はハッと我に帰った。私は1ヶ月前に店を自分から辞めていた。彼もそれに気が付いている。
「……だって○○ちゃん辞めてるし……」
私は行き場を失っていた。○○ちゃんという私の名前であるはずの言葉が、客観的に耳に響く。私はヒステリックにこう叫んだ。
「辞めてるけど、また戻りたいと思ってるもん!! 店長だってそう言ってくれたじゃん。あれは嘘だった!?」
「……とにかく今一緒にいてほしいんです」
抑揚のない彼独特の言い回しに、今はどこか切実さが聞き取れた。しかしそんならしくなさにこそ私は傷つくのだ。どうかどうか「店長」としての「彼らしさ」をとりもどして!!
「我がまますぎ……あのね、店長は今は私に拒否られてすごいヒロイックになってるかもしれないけど、でも実際あたしの方がもっと傷ついてるの、なんでわかってくれないの? 店長は今ふっと寂しくなっただけでしょ? あたしは2年もあのお店で働いて、みんなとちゃんと仲良くやって、真面目に働いて、きれいに辞めて、……2年かかって築きあげたもの、なんでそんな一時の寂しさかなんかにぶちこわされなきゃいけないんですか!!」
「……お願いします!!」
しかし立場上無理だと主張する私と、とにかく今一緒にいてほしいと主張する彼との口論は平行線だった。私は思い切って立ち上がった。
「……帰ります」
私の両手を握ったまま、頭を上げた裸の彼のその無防備な様子が、私にはひどく惨めにみえた。
ラブホテルからひとりで出てきたのは初めてだった。TVドラマのような状況は、実際にはこんなふうにつくられるのか、なんて考えが浮かんだ。さっきまでの状況が頭の中をぐるぐる回る。何が起こったのか。これでよかったのか。一緒にホテルに行ってしまったことが、私のとるべき責任なのか。
店長である彼が、同時に「店長」以外のものでもありうるという当たり前のことを、私はすっかり忘れてしまっていた。彼の行為はある意味では「裏切り」でもなんでもないのかもしれない。ふとそんな考えが浮かんだ。ただごく自然に、彼は私に魅力を感じ、私を誘惑したのかもしれない。単にそれは私たちにとっては、「仕事上の関係」とはまた別の、「男女としての関係」の提案なのだ。性的な領域では、地位や立場が忘れ去られ、たまたまの出会いのかたちも忘れ去られ、ただ〈彼〉という目の前の男の存在感に、私は無償の喜びを感じる、と、この日記でさんざん書き連ねたのは私自身であったはずだ。
私が彼との関係において自分の支えにしてきた職業上の自意識を、彼はあっさりとすり抜け生身の男になってみせた。一方で私は裸になれなくて、地位や立場を振りかざし、欲情に素直に従ったまでの彼に、ずいぶんとひどい仕打ちをしてしまったのではないだろうか。
私は彼と「裸の付き合い」ができなかった。もちろん私が彼に立場を主張したことは、全部本当だし間違ってもいない。しかし彼の弱音や誘惑だって、それと同じように全部本当だし間違ってもいないのだ。私の色眼鏡と彼の盲目さが、ふたりの有機的な関係を断ち切ったことが現実だった。
惨めなのは彼であり私でもあった。彼と連絡をとることは今後ないだろう。結局彼とやってもやらなくても、もうあの店には戻れないことに、そして私は気がついた。
そう、私が一番避けたかったそのことは、もうすでに展開されてしまった後だった。私たちは、「性を扱うプロ」としての自意識からはみ出す、生身の性にふれてしまった。私は彼によって自分の中に「(女)性」を感じ、同時にそんな彼に「(男)性」を認めてしまったのだ。それが彼と私との間で交換されようとされまいと、ふたりの関係の中でお互いの中にその存在を確認することそのものが、私たちを性の市場から引きずり落としてしまった。
ホテル街を抜けると、ついさっきまで腐臭を放っていた繁華街は、回収車がまわったのだろう、またあっさりといつもの無表情をとり戻していた。早朝までの仕事を終えた派手なかっこうの若い男女が、眠そうに連れ立って駅に向かって歩いていた。彼らの多くが「性」を売り、金銭と交換に相手の欲望を埋める行為に加担している。私はそのひとりひとりに、どのように上手くその経済行為と自分の欲求を満たす性的行為を両立させているのか、聞いてまわりたい衝動に駆られた。
しかし生臭い夜はもう終わった。新しい朝が始まるのだ。そして後1ヶ月も同じ夜と朝を繰り返せば、やがて私が2年通いつめたあのお店も無店舗化してなくなる。○○ちゃんは自分の性欲がすっかり枯れてしまっているんじゃないかと不安になった。そうでなければあれだけのリスクを侵して、さらに店長とやらないなんておかしい。
しかし実際のところは単に店長は○○ちゃんの好みではなかったのだとも言えた。彼女が彼に言った様々な言葉は、自分の身を守るために、全部後から付いてきた言い訳だ。でもきっと風俗を始める以前だったら、彼女があの状況で男と寝ないなんてあり得なかった。なぜならそっちの方が遥かに「楽」だと思っていたから。
しかし今の彼女は違っている。イヤならイヤという権利があることを知っているし、さらにそれを相手にちゃんと伝えて話し合う言葉だって、ちょっとは身に付けたのだ。自分の性欲を感じること、考えること、そしてそれを守ること、また素直に従うこと、それらは矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、全部風俗という仕事を通して彼女が学んだことだった。だってもし「店長」が、あの不器用な男ではなく長身で猿顔で低い声のM君(お店の従業員)だったら……ふいに卑猥な妄想にかられて、○○ちゃんはにやけた顔で俯いた。日陰へと足を速める。とにかく、日焼け止めを塗らなくちゃ!!
投稿者 nobodymag : 21:27
2005年11月17日
2005年11月17日
彼は6回目だと断言していたが、実際に私が彼とここで会ったのは4回目だと私は思う。彼は最初はすごく警戒心が強くて、初対面の私に自分にとって風俗とは何か、理想的な風俗嬢とはどういう存在か、とにかくそんな固い言葉で沈黙を埋め尽くし続けていたのを覚えている。細かい内容は忘れてしまったが、私も彼の言葉に共感できる部分を見つけては、そういう風に一見どうでもいいようなことひとつひとつに律儀に考察を重ねる態度に、ひたすら感心した。この人は不意の行為や環境に真摯に理論武装で向き合うタイプの人だという感覚を、今日彼を見るや、私は頭の隅から引っ張り出した。いつでも容赦なく掘り下げてくる彼に、適当なことは言ってはいけない。
「今日はちょっと暴力的にいこうかな」。彼が茶目っ気たっぷりに私に笑みを向けた。なじみの彼にすっかり心を許した私は彼の挑発をあおって同じように笑う。「らしくない」発言に、私はよく意味を噛み砕かないで彼独特の冗談なのだろうと受け流す。それが誤りだったのかもしれない。
性感の時間に入る。背を向ける彼にパウダーをまき、ローションを垂らし、いやらしく両手で彼に触れていく。玉袋を後ろからまさぐり、その奥に固い芯を感じる。彼はもう勃起している。後ろからペニスを触ってしまおうか、彼が仰向けになるまでじらそうか、私はちょっと思いあぐねる。さっきの彼の発言なんてもう私は忘れてしまっている。
「仰向けになって下さい」。彼の体制が整うと、私はそのペニスに唾をたらし、爪先でやんわりとカリをなぞる。彼は薄目で眉間に皺を寄せ、出産の時の妊婦さんのような、独特の苦しそうなうめき声を漏らす。私は彼の隣に横になり、さらにペニスにローションを垂らして柔らかにそれを馴染ませていく。「気持ちいい?」彼に尋ねると、擦れたうめき声の返事が返ってくる。私は彼の腕に頭を乗せて、そこから薄暗がりで鈍く光るペニスと自分の手を見つめる。触れ合った肌が、とても心地いい。どれくらいそうしたろうか、不意に彼が私の頭の乗っていないほうの左肩をぐっと起こす。斜めになった胸板に、私の頭はマットへとずるずると滑り落ち、彼は右手でその私の頭を支えた。伸びてきた左手が躊躇なく私のあごをつかむ。彼が固定された私の顔面に自分の顔をぐっと近づけてくる。……え、この人もしかして私にキスしようとしてる……? 安心しきって眠っていた私の猜疑心が、ゆっくりと緩慢に目を覚ます(お店ではキスは禁止されている)。しかし映画のようなこの「無理矢理キスされそうになっている」という情景に、それでも私は妙に客観的に冷静さを失えないでいる。「ちょっと……」私は半笑いで頭をグイグイ動かし、彼の手から逃れようとする。彼の唇が標的を外して私の鼻やら頬やらにガツンとぶつかってくる。彼の口が開く。饒舌なそれが今は何をいうわけでもなく私の口を飲み込もうと迫ってくる。「だぁめだって!!」ようやく私はペニスから手を離し、その手でぱちんと彼のおでこを叩いた。私はとっさにでも必死にでもなく、例えば流れ作業で型にあわない商品をベルトコンベヤーから廃棄かごに捨てるような冷静さでそれをやった。ゴキブリに遭遇した時のほうがよっぽど取り乱すと思う。自分の手を彼のおでこから離したときの、おでこと手を結ぶローションの糸が綺麗だなんて思っていた。
彼はすぐ素直に私に謝り、私も彼に叩いてしまったことを謝り、それから再び私たちは性感を続けた。当然時間もないし、ペニスも収縮する。私たちはただもっとも効率よく射精を迎えようとそれぞれが機械的に役割を全うした。
射精してもシャワーから戻っても着替え終えても、ついに彼に覇気は戻らなかった。それが反省の為なのかまた別の何かに対するものなのか、私は聞くことができなかった。しかし頭のいい彼ならば、ルールに反するにはリスクが伴うなんて、当然予想済みのはずだと思う。しかし別の落胆の対象なんて私には解りようがなかった。「彼らしさ」を、私が買いかぶりすぎたのだろうか、彼自身が「彼らしさ」から抜け出してみせたのだろうか、いずれにしても知りようがない。ただ彼はもう来ないのだろうと、何となく感じる。私は別段彼とのキスが絶対に無理というわけではなかった。でも私は彼を拒絶した。ただそれがルールだから。それはお互いにわかりきったことだ。しかしそれでは、私にも伝染したこの憂鬱は一体なんだ!!
投稿者 nobodymag : 15:21
2005年10月14日
2005年10月14日
毎週お店に足を運んでいた男が、数ヶ月前から突然来なくなっていた。それまで当然のように顔を合わせていた彼の不在に、私は戸惑いを隠せないでいた。彼の予約するいつもの曜日、いつもの時間に同じように予約が入ると、彼ではないかと推し量り、ルームの扉を開け相手がその男でないことを確認すると、彼のために用意していたいくつかの言葉をのど元で飲み込み、焦って目の前に立つ男用の言葉を新たに用意することを、私は幾度となく繰り返した。やがてそれにも慣れてくると、本名や出身地や将来の夢など一切私に尋ねないで、源氏名の私を心の恋人と勝手に呼んで店内デートを繰り返していた彼の存在が、「風俗嬢」を続けたい私にとって想像以上に重要な栄養素となっていたことに気がつき始めた。独占欲の強い彼にとってはある意味で不本意なことではあるだろうが。とにかく私がいくら思いあぐねても、ふたりの再会を決めるのは彼の方と決まっている。
さて今日、彼がケロリとお店にやってきて、ついに私は彼との再会を果たした。私は彼を見るなり声を上げた。「あー来た!……お久しぶりです」すると彼は言葉を返した。「ほんとごめん。いろいろすごい忙しくって」あきらめた頃に思いがけなくやってきたこの機会に、私はどうやって対処をすればいいのかわからなかった。彼が来なかったことを攻めるべきか、彼が来たことを喜ぶべきか、彼の不在に感じた自分の思いを伝えるべきか、何事もなかったように普通に彼に接するべきか、いくつかの思いが私と彼を規定する様々な位相で絡まり、私は言葉を失ってしまった。「……とりあえずお洋服脱ぎましょうね」お店で決められた作業にそうことで私はなんとかこの危機を切り抜けた。マッサージの間私たちは、何か話そうとして譲り合う、ありがちでたどたどしい会話を交わした。ひどく居心地が悪かった。それは懐かしい親友に久しぶりに会う感覚と似ていた。ぎこちない空気は裸の付き合いが解消してくれるだろう。私は楽観的にそう思って、ナース服のジッパーをおろした。彼の背中にパウダーを降りまいた。性感タイムに入ったというのに、彼はまださっきの会話を続けていた。彼はとても繊細なおちんちんの持ち主で、気分が少しでもそれるとそれは勃起していてもすぐ萎えてしまうことを、私は過去の経験から知っていた。私は彼の射精をこれから始まるあらゆる行為と会話の目標に据えた。私は彼の言葉に小さくうなずくと、彼の背中に指を這わせた。会話は止まったものの、敏感なはずの彼の背中は無反応だった。「四つん這いになってください」彼は素直に私の言葉に従ったが、しかしおちんちんは小さくしぼんだままだった。「……仰向けになってください」彼は頭を横にして身体を表に向けた。彼のおちんちんにローションを垂らすという自分の行為が、妙に大胆なものに思えてきた。私は彼の腕に横になった。彼のお気に入りの体勢だ。「なんだか恥ずかしいですね」私のこぼす弱音に彼も同意した。しかし私の手の動きに彼のおちんちんは律儀に反応してくれた。ふたりの間で慣習化されていた身体の動きに無言で身を任せ、ついに私たちはそのおちんちんに絶頂をもたらすことに成功した。無理矢理に仮設の収まりどころにこじつけたかっこうだ。結局最後まで続いたこの違和感を言葉にして彼に伝えよう、私は遂に口を開きかけると、彼が同じタイミングで先に言葉を吐いた。「ずっと来れなかった時、来れないだけじゃなくて来れないことを伝えられないことも嫌だったんだよね」彼は私の連絡先を聞こうとしているのだ、私はすぐさまそう思った。新たな展開だ。しかし彼はすぐに言葉を続けた。「だから来ました。なんちゃって、へへへ」それは彼の宣戦布告だった。小さなレンタルルームの中で、「風俗嬢」と「心の恋人」の間で揺れる私と、「心の恋人」と「客」の間で揺れる彼との、恋人ゲームはまだ続くのだ。
投稿者 nobodymag : 08:52
2005年08月28日
2005年8月28日
まさかこのお店で受けるサービスをまったく知らないで飛び込んできたわけでもないだろうに、彼は出会うなり大声でなんやかんやとまくしたてて、なかなか衣服を脱ごうとしなかった。私が業を煮やして彼のシャツに手をかけると、彼は大げさに飛び上がり確かにこういった。「もう何するんだよ、いきなり」。
それでもタオルを器用に使ってなんとかパンツまで脱ぎきった彼は、文句を垂れつつ促されるままシャワー室へと入り、その扉をぴしゃっと閉めると続いて5センチぐらいまた扉を開け、その隙間から腰に巻いていたタオルを私のほうに突き出した。私がそれを受け取り待っていると、次に彼は濡れた手を差し出しそのタオルを催促した。「見るなよ!」甘えても怒ってもいないが妙に意志のある彼の言葉に、私は大げさに目をつぶった。彼がシーツに横になった音を確認 すると、私はゆっくりと目を開けた。彼が視線の先を探るように私を凝視してくるので、私も彼の目をしっかりと見つめながら手探りで彼の局部へとタオルをかけた。思いがけなく、タオル1枚で横たわる彼とナース服の私は、決闘の前に向かい合う武士たちのような緊張状態にあった。
「じゃあ、お顔のマッサージからさせて頂きますね」。私はいつもの台詞を口にすることで、狂った調子をなんとか取り戻した。彼もマッサージにつきものの大げさな感想や吐息でそれに応戦してくれた。シャワーに入るまでのやり取りに、ずいぶんと時間を割いてしまったが、幸いにも若々しい彼の身体は、私が マッサージするまでもなく十分にほぐれていた。私は時間どおりに性感にはいった。うつぶせの彼がふと押し黙ったのを見計らい、私はナース服を脱いだ。彼の背にまたがり、ベビーパウダーを振りかけた。「あ、この匂いはベビーパウダーだね」。
なんだ知ってるんだと、安心してうなずくと、私は指先に神経を集中させ美しい曲線にそってそっと彼の背に触れた。「……何!?」彼がおびえた猫のよう飛び上がって全身をこわばらせた。「何って……パウダーマッサージです」。私はそっとささやくとまた彼の背に指を這わせた。「あ、なんだ。これがパ ウダーマッサージか」。私は脇腹や二の腕の後ろなど、皮膚の薄くなった身体の側面の部分が特に敏感に感じやすいことを知っている。集中的にその敏感な部分を触っていく。私の指の動きにあわせて彼が身体をくねらせる。私は突き出した丸くてかわいいいお尻へと指を滑らせる。突然彼が大きな声を出す。
「あぁ、もうやめて! なんか触り方がやらしいんだよ!」察するに彼の愚直な言い方に、裏の意味はなかった。私は手を止め、この純真な男性を一体どうやっ てオルガスムまで導いたらいいのか思いあぐねた。彼に風俗産業の形態について一から説明する時間はない。私は彼に仰向けになるように伝え、彼の腕に横になり、無言で彼のペニスに触れた。彼が敏感に声を上げた。意外にも彼は静止しようとはしなかった。私は彼に足を絡ませアヌスから亀頭にかけてねっとりと指先をスライドさせ、先端からペニスを手のひらで包み込んだ。ゆっくりとその手を上下させた。彼はもたれかかるようにして私に全力で抱きつき、深く足を絡ませた。私の手にあわせて彼は自ら腰をふった。それは私の太ももにペニスを押し付けるような格好だった。この体勢はこの店のプレイ対象外ではないだろうか……。私はふと冷静になった。しかしかすかに赤みの差した顔でぎゅっと目を閉じ腰をふる彼に、そんな注意はてんで見当違いな気がして、私はそのままにしておいた。「いっちゃいそうだよ」。しばらくすると彼が言った。彼の腕の中で、そうと伝わるように私が大きくうなずくと、亀頭に触れた手の中に温かくて柔らかな精子が溢れた。
いってしまうと急に羞恥心がよみがえったのか、彼はまたばっと局部をタオルで隠しながらさっさとシャワーに入ってしまった。彼が身体を洗い流して着替えを終わると、どこかよそよそしい奇妙な雰囲気の中で、私は彼に封筒を手渡した。「もしよかったら、アンケートをお願いできませんか? あの、私見ないことになってるんで、思ったこと何でも気にしないで書いてくださいね」。彼は封筒を開くと顔を曇らせこう言った。「えー、なんかこれ、やだね」。書くこと自体が面倒な様子でもなかったので、きっと彼は評価される対象にある私に対して思いやりの気持ちを抱いてくれたのだと思い、私は少しうれしくなった。「優しいですね。でも、まぁ、仕方ないですよこればっかりは……」。しかし彼は即座に言葉を返した。「いや、じゃなくてなんかおっぱいが綺麗だったとか書けないじゃん。だって、それ見て店の人は、あーこの子おっぱい綺麗なんだ、とか思ったりするんでしょ?」「……」。「悔しいよね。あーもー全部×にしちゃおっかなぁ! えーと、『女の子の接客態度はどうでしたか』……『最悪だった』『フィニッシュはどうでしたか』……『最悪』」「……」。彼の言葉に私はかなり動揺した。よくも悪くもアンケートとはお店の向上心の誇示と商品としての女の子の評価であるとほとんど無意識に刷り込まれていた私は、ふたりの時間を内密なものと感じていたらしい彼によって完全に足下をすくわれていた。突然彼が、その時私たちが置かれていた客と風俗嬢としての関係を、男と女の生々しい出会いへと転化させた。いや突然ではなく、私に異様に不自然に見えた彼は、初めからそのつもりだったのだ。
投稿者 nobodymag : 00:32
2005年08月20日
2005年8月20日
実家に帰郷した隙に、父親の本棚の隅にそろりと置かれていた『スカートの下の劇場』を盗み読む。そこには、「パンティ」の多角的な歴史的変遷を通してかいまみえる1989年のセクシュアリティが描き込まれている。出版当初から16年の歳月が経過した現在、それを単純に鵜呑みにすることはできないが、それでも「動物的な性欲」をむき出しにし始めた女性と、「手続きが最高の価値」でありゴール(挿入)を単なる付随品として捉える男性、という非対称なセクシュアリティのあり方への指摘は、私の職業を考える上でもひとつの鮮烈な基準となるだろう。上野千鶴子もまた、当時広まったばかりだった「ソープランド」を男性の受け身的快楽の発見として評価している。以降「ヘルス」「イメクラ」「ピンサロ」「SM」「性感エステ」等へと至る細分化の流れを、即物的で能動的(になりがち)なインサートを先延ばしにしたい男性の妄想の産物であると考えることは間違いではない。
ところで私にはセクシュアリティよりパンティこそ切実な問題だ。というのも私の業種では、女性は性感時パンティのみ着用での接客となるからだ。この場合私の身に付けるパンティは、自身のイメージを外的要因によってコントロールすることのできる唯一無二の装置として機能する。一体どのようなパンティがこのTPOにもっともふさわしいかというのは、かねてからの疑問なのだ。上野は本書において、セックスアピールとナルシシズムというパンティの持つ二面性に注目している。パンティは、男性と女性の交錯する外的・内的な視線のなかで実に様々な局面を呈する。上野によれば、男性はパンティをそれ自体として愛で、誰がそれを履いているかは度外視する。もしくは彼らは現物の女性と対面すると、彼女らの身に付けるパンティに視線を落とすゆとりを失ってしまうのだ。彼らにとってのパンティとは生身の女性の下着ではなく、そのために彼女たちがパンティをセックスアピールとして選択するさい前提とする男性の視線は、実際には架空のものとなる。女性はナルシスティクな自己演出を目的としてのみ、パンティを選ぶのが正しいし、上野によれば実際の多くの女性たちは単にそうしているだけなのだ。
さて、自分がやる気になるパンティを探しに、私は早速下着屋さんに足を運んだ。しかしそこで目にしたのはパンティではなくブラジャーだった。多くのブラジャーとパンティはセットになってそろえてひとつのハンガーにかけられていて、パンティはまるで背景のように多様なブラジャーの後ろで小さく揺れていたのだった。私は仕方なく気に入ったパンティを含むセットを2点選びだして試着室へとはいった。パンティの試着は禁止されている。ブラジャーを試着して店員さんにみせると、彼女はひと言こういった。「あー、あってませんねぇ。別のものお持ちしますね」。あっていないのはデザインではなく胸の形だった。彼女は次から次に様々なブラジャーを試着室に持ち込み、私と一緒になってひとつひとつそれを確認してくれた。最終的に最も私の胸に形があっていたブラジャーと、それとセットになっているパンティと、さらに色違いの同じセットを手に取り、私は自動的にレジへと向かった。私に最もふさわしいパンティを決めたのは、結局男性でも私自身でもなく店員さんだった。
「ブラジャーとパンティはセットで」という認識は、1989年当時はあまり一般的ではなかったのだろうか。さらに現在はずいぶんと機能性が重視されるようになった気もする。それらはセクシュアリティに何らかの影響を与えているのだろうか。男性陣はどう思っているのだろう。いずれにしろ私が新品のブラジャーとパンティという純真無垢なイメージについやる気を抱かされてしまったのは確かではあるが……。
投稿者 nobodymag : 15:01