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December 9, 2004

2004年12月9日

M性感のお客さんが、3本連続ではいる。ルームに入ると、3人とも申し合わせたように、「初めてなんで、……お任せで……」と気弱そうにつぶやく。上目遣いで、おずおずと私を見つめる。「怖がらなくても大丈夫。じゃあ、様子をみながら、ゆっくり攻めていきましょうね」。私は笑顔で彼らを迎える。お客さんの緊張を解きほぐし、「この人だったら任せても大丈夫かな……」という、信頼感を得るところから、プレイはすでに始まっている。お客さんが私に怖じ気づくのもいけないけれど、それ以上に絶対になめられてはいけない。そのまさに期待と不安の入り交じった危うい均衡状態でシャワー室へと彼らを送らなければいけないのだ。
初めてのお客さんは多くの場合、パウダーマッサージも言葉攻めも、アヌス攻めも、ほとんどすべて未体験で、でもいろいろとそれらについての情報は持っている。頭でっかちに妄想を膨らませる彼らを気持ちよくいかせてあげるためには、ただその頭にたまったエネルギーを、体全体にまんべんなく巡らせるお手伝いをして、最後にそれをおチンチンへと集中させて、そしてカリを最後に軽く刺激してあげることなんじゃないかと思う。私は彼らの背中に白いパウダーを振りかけ、ゆっくりと彼らの手足の指の先からだんだんとおへそのあたりに向かってつめを立てる。「気持ちいいんでしょ?」「もっと腰ふって、嫌らしく欲情してるとこ見せてみて」。「どこが感じるのかあたしにわかりやすく説明してくれる? そうしないと、やめちゃうわよ」。……いくつかの言葉で追い込んで、彼らの神経を私の指先に集中させ、そしてそれが凄く気持ちいいものだという考えへと彼らを誘導するのだ。未経験者である彼らは異様に素直ににそれに従い、私の言葉通りに感覚をどんどんと鋭化させていく。実際にそこで私がお客さんに何をするか、よりも、お客さんが私に何をされている、と感じるか、が大切なのである。
前提条件としてある「ヌク」というしばり以外、実際には何もしなくてもいいのかもしれない。どんどんとやることを制限していって、背中に息を吹きかけただけでおチンチンから粘液があふれる、みたいなこともあり得るのかもしれない。M性感はソフトSMとも呼ばれ、本来のハードなSMプレイに踏み込めない軟弱な人々に用意された、いわばSMのイメクラという風によくいわれるけれど、行為をどんどんとエスカレートさせていき、「死」に生々しく近づこうとする本来のSMクラブと比べると、M性感というのはもしかたらまったく逆の方向性をたどるものなのか。感受性をどんどんと高めて、見るもの聞くもの触れるものをすべてイヤらしい欲望のヴェールを通して感じられるようになるにつれ、人はこれまで生きてきて、積み上げてきた死というエンディングへのおのおのの道のりを、再びここでリセットし、性的欲望に満ち満ちた、エロスマシーンとして生き直すことができるようになるのか。

投稿者 nobodymag : December 9, 2004 1:19 PM