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カンヌ映画祭日記① 5/13

       今年のカンヌはウディ・アレンの『Midnight in Paris』で開幕したが、残念ながら、私は3日目からの参戦。朝7時半過ぎのTGVで、パリからおよそ5時間かけてカンヌへ。今年は事前の予測が豪華だっただけに、かなり拍子抜けのプログラム(ガレルの新作は?ホオ・シャオシェンは?ミアハンセンラヴはどこに?なぜあの作品がなくてこんな作品が?)だが、私にとっては初のカンヌ。いやがうえにも期待は高まる。アンロック、カイエ、ポジティフからファッション紙までキヨスクでカンヌ特集をしている雑誌を買いあさって、車内でプログラム片手にスケジューリングをはじめる。だけど、毎日マルシェを含めると200本近い作品が上映されるこの映画祭で、いったい何を見ればいいのか? コンペ、ある視点部門、監督週間、批評家週間…どうしよう。うーんと唸っているうちにあっと言う間にカンヌに到着。ホームを降りると張り巡らされたファイ・ダナウェイのポスターに迎えられる。

   5時間で出した結論、今日の目玉はナンニ・モレッティ!のはずだったが、タクシーは長蛇の列、ホテルはだいぶ遠い、七時からの上映はドレス着用が義務だし…そんな準備はしていないし笑。プレスのバッジの受け取りなどなど手間取ったため、14時半の上映にはまったく見当違いな時間になってしまった。夕方の4時。コンペの作品は遅かれ早かれパリで公開されるだろう。そうだ、映画祭は発見の場でしょ!と思い立って、監督週間へ直行。今日は、レベッカ・ダリィの『The Other side of Sleep』と、フィリップ・ラモスの『The Silence of Joan』を見ることに。初日にしてはなかなかパンチの効いた二本。前者は、シネフォンダシヨン出身の監督なんだけれど、主演女優の顔がとても印象的な作品。雰囲気としてはレア・セイドゥを縦長にした感じと言ったらよいか。ワンシーンワンシーンがすごく丁寧に撮られていて、時折彼女が見せる激しく暴力的な動作に魅せられる。でもその表情は外界からの刺激、言葉、肌の触れ合い、痛みにほとんど変わらない。だからこそそれが瓦解する瞬間にはもっとなだれ込むような何かがあってもいいような気がしてしまった。後者の作品は、多くの雑誌が紙面をさいていて、マチュー・アマルリックとステヴナンが出演しているとのこと。題材はなんとジャンヌ・ダルク!、であるだけにどうしてもドライヤーやブレッソンのことを考えてしまう。レベッカ・ダリィのフィルムでインパクトのある顔を見てしまったから?ジャンヌ役の女優がまったく思い出せないのだ。友人たちの評価はなかなか良いんだけど、ちょっと納得がいかない。

 

大友良英さんの講演の記録を興味深く読んだ

201158

 

 大友良英さんが、芸大でとても興味深い講演をしている。公演ではない、講演だ。音楽家が公演よりも講演をするのはよっぽどのことだ。タイトルは『文化の役目について:震災と福島の人災を受けて』だ。全文を大友さんのサイトで読むことができる。(http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/essays/fukushima.html)ぼくも、それなりにいろいろ考えてきた。もちろん、勤務先の大学の組織が「都市イノベーション研究院」という名前の新しい大学院で、そこには北山恒さんを始めとする建築家や山田均さんを始めとするシビルエンジニアリングの専門家がたくさんいるので、いろいろな方々の発言を聞いたからでもある。都市における建築や基盤を研究し提案する組織だから当然かも知れない。北山さんは東北大学の建築科(今でも建物は立ち入り禁止らしい)の学生たちとヴォランタリー・スタジオを立ち上げようとしているし、山田さんたち土木系の人たちは、いち早く現地に行って調査をしている。そうしたとき、ぼくら「文化系」はいったいどうしたらいいのだろう。とりあえず、いろんな人たちはどうしているのだろうと新聞やテレビやネットで発言を追っていた。メディアには出ないけれども、友人のboidの樋口泰人は、南相馬に物資を持って行ったし、ウチの近くのカフェ「ノルド」を経営している遠藤さんも、南三陸町に物資を運んだ。

 そんな中で尊敬する音楽家の大友良英さんが、福島について発言している。それが4月28日に行われた芸大での講演だ。岩手や宮城の三陸沿岸には道路が開通し、仮設住宅も建ち始め、まだ問題は山積だが、とりあえず「復興」や「再生」にシフトしようとしている中で、福島の原発の問題は、現在進行中で、たとえばフランスの雑誌の「アンロック」は、La guerre de Fukushimaという特集記事を組んだし、ニュースで見るヨーロッパの反原発デモのプラカードにはNo More Fukushimaと書かれていた。まだたくさん避難している人が残っているどころか、やっと原発の建屋の中に人が入った段階で、本当にどうすれば終息に向かわせることができるのか、まだ方法さえも見つからない段階であって、東電が公表した工程表なんかは、文字通り、絵に描いた餅であることなど、みんなが知っている。Fukushimaというトンネルは、まだ出口も見えない。

 大友さんは、横浜出身だが、その後に親の仕事の関係で福島に移転し、大学に入るまで10年間ほどを福島で暮らしたのだという。まず講演の枕でこんな話をしている。「周りのミュージシャンなんか、普段、「人のために」なんてひと言も言ったことがないヤツらばっかりなんですよ。音楽だけはいいけど、みたいなしようもないヤツらが、みんな、「人のために」とか言い出したんですよね。オレもその1人なんですけど」。つまり、どうすれば福島のみんなのためになるのか、ということを考え始めたということ。

 まず現状はどうなのか? テレビはゴーストタウンになった避難勧告地域を映し出す。そして大友さんはこう語る。「オレは良く知ってるんだけど、それは昔からだよ、と思うんだよね。そんなもの、日本中の地方に行ってごらんよ。人はいないし、シャッターも閉まってるよ。放射能のせいじゃないよ、と思うんだけど、報道でそうやってしまうと、まるで、それまで活気があったところがゴーストタウンになったように見せられてしまう。テレビマジックですよね」。もちろん住民たちが避難しているのは事実だけれど、それ以前から、人がそんなにいるわけではない。地方のシャッターストリート化は原発に始まったことではない。地方には、それぞれの文化があって、なんて語れない状況は、ずっと前から始まっている。

 大友さんは放射能をナイフに例えている。ナイフで一発で人を殺すなら、みんなはそれをひどく恐ろしいことだと思うだろうが、放射能というナイフは見えない。状況が見えない。見えないナイフと闘うことを余儀なくされている。三陸地区ならば、その「見えないナイフ」はもう存在しないが、福島にはナイフがある。それもどこにあるか見えないし、どのような経路でナイフが襲ってくるのかも分からない。だから逃げるしかない。「放射能のとても厄介なところは、見えないんですよね。空を見ると、青空はすごいし、すてきだし、夜は、本当に東京なんかよりよっぽど月もきれいで、空気を吸い込むと空気もおいしいんですよ」。見えない刺客が迫ってきている。フィルムノワールみたいに。

 小学校の校庭の土に堆積した放射能の測定値の問題で、専門家が政府の顧問を辞めた問題が大きく採り上げられているが、菅首相が言ったとか言わなかったという、これから20年はこの地区に住めないという問題も、あながち嘘とは思えない。もちろん、原発を穏やかに停止させるために、英知を絞って建屋の中に入り、放射能放出の原因を突き止めて、それを封じ込めるという問題があるけれども、それを解決しても、福島=Fukushimaという地名は、チェルノブイリと同じようにネガティヴなものになってしまった。大友さんは、それをポジティヴな固有名に転換するために、文化という豊かな未来を語るものが必要だと主張する。「福島がクリーンエネルギー特区になって、今まで効率が悪いと言われていた風力発電とか太陽発電とか、効率のいい技術に変貌して福島から出たとしたら、それだけでも多分、福島という名前はポジティブなイメージに変わると思うんですよね」。

 だから大友さんは、福島でライヴをやり、まず福島から「発信」する作業から始めている。東京という極めて一極集中性の強い発信基地から離れて、福島からも発信する作業。確かにその作業は、福島という固有名をネガティヴなものからポジティヴなものへ転換する有効な機会になるだろう。考えてみれば、原発以前から大きな問題になっている地方のシャッターストリート化は、東京への文化的活動の一極集中にも大きな原因があるだろう。このコラムの前々回で、「松島に美味しいブイヤベースを食べさせる素敵なオーベルジュを作る」ことを提案した。日本で一番美味しいイタリア料理もフランス料理も、和食も、全部、東京で食べられるし、大友さんを始めとする素晴らしいミュージシャンのライヴがいつも見られるのも東京だし、映画だって、舞台だって、全部、東京だ。ぼくだって東京に住んでいなければ、仕事はないだろう。大阪に出張しても、京都に出張しても、ぼくは、東京から文化を運んでくる役割を受け持っている。東京以外で開催されている映画祭で唯一成功しているのは、山形ドキュメンタリー映画祭だが、その映画祭が成功している原因は、東京でも集められない面子や作品が山形に集結しているからだ。

 

 福島にそんな例がないのだろうか? 探してみると、素晴らしいフランス料理店が南会津の湯野上温泉にあった。「シェやまのべ」だ。避難地域ではないが、そのレストランは食べログでも4.04点(http://r.tabelog.com/fukushima/A0707/A070701/7000084/)すごい高得点だ。調べてみても、地方のリゾート地でこんなに高い評価のレストランは本当は少ない。このレストランのシェフである山野辺宏さんは、銀座のレカンやフランスで修行し、葉山のマーレ・ド・茶屋のシェフを務めて、故郷のこの地にレストランを開業したそうだ。4人テーブルが2つと2人テーブルが2つだけの完全予約制レストランだそうだが、常に満員だという。食べログの写真を見ても、すごく美味しそうだ。地方の矜持そのもののようなこうした場所を、このレストラン以外にも、美食以外の分野でも創造してみること。大友さんの言う、ネガティヴなものからポジティヴなものへ転換には、まずそうした行為が必要だと思う。



 

5月3日(火)

 08:00起床。少し市内を散歩して、マーカスに空港まで車で送ってもらった。地下道を抜けて郊外へ。フランクフルトは市内から空港まで車で15分ほどで着く。空港でコーヒーを飲むと、すぐに時間が来て、出国手続き。マーカスには大変お世話になったし、親切にしてもらった。

一緒に写真を撮り、握手して別れる。飛行機は1時間遅れて飛び立った。機内では『インセプション』(10)、『(500)日のサマー』(09)、『ソルト』(10)を繰り返し上映していた。夜に向かって飛行機は飛び、夜を抜けて北京に着いた。現地時間8:00。羽田行きの乗り継ぎ便はバンコクからの日本人でいっぱいだった。

5月2日(月)

 11:00起床。日本からのゲストの多くはこの日に帰国するようだった。昼食を映画祭のスタッフと、時間のあるゲストで食べる。爽やかな天気で、テラスが気持ち良い。ベルリンの大学院の博士課程で、阿部和重について論文を書いているという方がいて驚く。多国籍な面子で中原昌也のコラムの話などをする。その後、ペドロ・コスタは日本で異様に人気があるなど映画の話を色々と。その後カフェでコーヒーを飲み談笑。アイスを食べたり。

そして時間が来て、別れる。流れの中でしっかり挨拶ができなかった人もいた。本当にいい人たちばかりだった。夜は、ステイ先のマーカスに夕食に連れて行ってもらった。家に帰ると、そんなに遅い時間ではなかったけれどもすぐに眠ってしまった。

5月1日(日)

12:00起床。ニッポンコネクション最終日。街は日曜日で、ほとんどの店が休みであった。サンドイッチを買い電車の中で食べつつ、こういう時は本当に月並みに「あっという間だったな」と思うものだなあと、思う。スタッフの方たちは皆良い方ばかりで、何よりも映画祭を楽しんでいるように見えた。

映画祭自体も、かなり幅のある客層で大勢の観客が来ていたし、あまり構えて映画に臨むというより何か新しいものに興味があって単純に楽しみに来ている雰囲気があった。良い意味で学園祭のような、観客とスタッフとゲストの距離の近い、とても良い映画祭だと思う。中川究矢監督『進化』(10)観る。Q&Aでは日本の若手監督たちの状況などの質問が出ていた。レセプションパーティー。主に協賛企業の方たちなどが集まっていた。ヨーロピアン・フォーマル。会場を移動、授賞式へ。

ニッポンシネマは観客投票により3位まで発表され、ニッポンビジョンズは批評家ら3人の審査員による選考で大賞のみ。授賞式に続いて原恵一監督『カラフル』(10)の上映があることもあり、会場は満員。井口昇監督の姿を見て客席から「ザボーガー!!」との歓声が。関係者挨拶の後、賞の発表となった。ニッポンシネマは3位/富永まい監督『食堂かたつむり』(10)、2位/塚本連平監督『かずら』(09)、1位/米林宏昌監督『借りぐらしのアリエッティ』(10)。続いてニッポンビジョンズの発表。審査員のトム・メスが、大賞の発表の前にとても強く印象に残った作品を1作品をここで挙げさせてほしいと、大橋礼子監督『海への扉』。とても驚いたが、隣に座っていた大橋さんの方が驚いて、なぜか笑っていた。シンプルな構成の強さを高く評価。続いて柴田剛監督『堀川中立売』(10)が大賞として発表された。そして、すべてのプログラムが終了した。皆、口を揃えてあっという間だったと呟いている。近くの店で打ち上げ。ビールをひたすらに飲む。05:00になり、気付くと6人だけになっていた。歩く。そしてみんな散り散りの方向へ帰って行った。 

4月30日(土)

 10:00起床。加藤直輝監督『アブラクサスの祭』(10)。上映前の挨拶にて、この映画は福島で撮影された映画であり、内容はフィクションであるけれども撮影したその瞬間の福島が映っています、と加藤監督。震災後のロケ地周辺を記録した短編を上映後に併映した。今回、震災以前に全体的なプログラムは決定していたようだが、後から追加されたプログラムとして、原発を取り扱った作品『ミツバチの羽音と地球の回転』の鎌仲ひとみ監督の作品も急遽上映されていた。佐藤信介監督『GANTZ』(11)満員で、会場までの階段が混雑で完全に通れなくなっており、立ち見も出ていた。「Hogaholic presents」にて吉田浩太監督『墨田区向島三丁目』(10)、今泉力哉監督『TUESDAY GIRL』(11)、坂井田俊監督『悪魔が来た』(11)。ドイツの観客も日本の観客も基本的には感性のツボは違わないと、ここにきて確信。笑い声などの実際に声に出すリアクションは日本よりはっきりしていると思うが、そのポイントに関しては大きく変わらなかった。昨日の例を挙げるなら、『シロメ』の胡散臭い霊能力者などの日本的だと思われる笑いであっても、反応はあった。上映後に映画祭で知り合った人たちに感想などを聞いても、それは日本で聞くものとまったく違うとは思えなかった。

30分押しで22:30分から拙作『真夜中の羊』(10)、長谷部大輔監督『浮雲』(10)。こんな遅い時間からの上映にも関わらず満員の観客に驚く。舞台挨拶で、しっかりと現地スタッフではないと自己紹介をしてややウケに終わり、すぐに別会場で行われる東京芸大についてのトークイベントへと向かう。ニッポンビジョンズの審査員のひとりのトム・メスと、大橋さんと加藤直輝監督と僕で、東京芸大でのカリキュラムから始まり卒業後の自身の状況などを話す。会場がとにかく暑かった。トークが終わり、上映会場に戻ると、自作の上映は終わっており『浮雲』の上映中だった。スクリーン上で繰り広げられる痴態に「Oh my god……」と会場から声が出て笑った。上映後、Q&A。24:30を過ぎていたこともあり、さすがに帰られた方も多かった。先ほどトークで喋ったような芸大についての質問なども出ていた。ある人に、ドイツ人からするとあなたたちの2作品はどんな意味があるのかよくわからないんですが……と言われ、日本でもしばしば出会う反応に、やはり海外も日本もそんなに反応は変わらないなと再び確信。25:00過ぎにすべて終わる。地下のカラオケはまだ盛り上がっていた。加藤さんが歌う。続いてステージに上がる大橋さんを見てやはりさすがだなと思う。

4月29日(金)

 9:20起床。植物園。2日連続。昨日は時間がなかったのでゆったりと廻る。

温室でコケやシダなど。ベンチに座っていると、中東系の女性に写真を撮ってと頼まれる。ひとりで旅行をしているというイラン女性のサシャ、お互い写真を撮り合いましょうということになり園内をふたりで廻る。動物園も一緒に行こうかという雰囲気になったが、僕がニッポンコネクションの会場に行かなければならない時間になってしまったので、その場で別れた。別れたが、軽妙なギャグなど織り交ぜられる程の英語力がなかったことと最後に1枚写真を撮らせてもらわなかったことが本当に悔やまれて仕方がない。14:00写真撮影の後にお茶会。上映会場のひとつである10分ほど歩いたところにある映画館。併設されたカフェでお茶会となるが、多くの人がビールを注文し始めていた。昨日の交流会はボランティアスタッフも参加のものであったが、今回は映画祭のメインスタッフとゲスト。ドイツで人気がある監督は誰かと訊ねる。多くの才能ある監督はアメリカに渡ってしまい、国内で人気があるのはトーマス・ヤーン(『ノッキン・オン・へブンズ・ドア』など)とかかな、との答え。16:00会場の大学へと戻り白石晃士監督『シロメ』(10)観る。恐怖体験に直面するももいろクローバーのリアクションでも笑いが起きていたが、劇中に登場する霊能力者の胡散臭さという日本でも微妙なニュアンスでも観客は笑っていて、そこまで伝わるのかと驚いた。

続いて「nobody presents 三宅唱special」。nobody松井氏と三宅監督のビデオレターが冒頭に上映される。最後に両氏が照れながらドイツ語で挨拶したところで笑いが起きた。22:15本日最後のプログラム、栗本慎助監督『cage』(10)、大橋礼子監督『海への扉』(10)。上映後、Q&Aを終えると24:30を過ぎていた。大橋さんは自分の上映が終わり、安心したら疲れたと言って帰って行った。会場地下ではカラオケ大会が、1階ホールではベルリンから来たバンドがライブ。

金曜ということもあり人はまだまだ残っていた。スタッフとゲスト何人かで街の中心部のクラブに行く。おそらくドイツ人的には懐メロであろう曲が主で、音も単に大きいだけという感じだったが、それでも楽しかった。夜明けとともに帰宅。

山本理顕さんの言う「閾」からいろいろ考えてみた

 2011年4月28

 大学の同僚の山本理顕さんの最終講義があった。理顕さんが最近、熱心に考えている「地域社会圏」が中心でとても興味深く聞いた。そのときに配られた小冊子に理顕さんが「atプラス06」に書いた記事「建築空間の施設化──「一住宅=一家族システムから「地域社会圏」システムへ」が採録されていた。この最終講義とその文章はエコーのような関係になっていた。

 最終講義の方は、建築が社会の関係性を創出するという建築原論から、個々の関係の間にある「閾」について語られ、それが「地域社会圏」にハンナ・アーレントを介して接続されていた。「atプラス06」の方でも、やはりハンナ・アーレントがアジャンスマンになっているが、現代社会における建築の置かれた立場についての解説に重きが置かれている。インフラの整備に伴い、建築はインフラの先端にある「施設」に過ぎないものになり、建築家は、「施設設計者」に成り下がってしまった。社会の中の、人間たちのビヘイヴィア(アーレント)が画一化され、住宅は住むための施設に、ホテルは泊まるための施設になることで、これまた画一化され、画一化されることによって「官僚制」が担保されていく。アーレントばかりではなく、フーコーの権力論の展開に近い現代社会の描写になっていた。問題なのは、施設設計者の役割しか与えられていない建築家は、いったい何が提案できるのかということだ。建築家・山本理顕の作業とは、施設設計者としての役割しか与えられていない地位への徹底した反抗であり、反転攻勢だったように思う。

 そんな文章の中に、小田原市の多目的ホール(結局、市長が代わり、廃案になってしまったようだ)を設計した理顕さんを批判した井上ひさしの文が引用されている。「多目的ホールといった発想は貧弱です。必ず無目的ホールに堕落します。(……)世界のいい劇場はみんな、一見平凡な型をしています(そこに劇場の本質があります)。へんてこりんでいいのは演目だけです」。『こまつ座』の機関誌「the座」のために世界の1000もの劇場へのアンケート取材を行い、日本で一番劇場に詳しいと井上ひさしは豪語して、上記の発言に繋がっているようだ。ぼくの好きな世界の劇場には、パリのオデオン座のように、19世紀の首都(ベンヤミン)が生んだもっとも劇場らしい劇場もあるけれども、ナンテールのアマンディエ劇場のように「へんてこりん」な劇場もあるし、ピーター・ブルックが長年演出の場所に選んだ、平凡な劇場が焼け落ちた廃墟のようなブッフ・デュ・ノールのあるし、20世紀末の演劇史に偉大な名を刻み込んだ太陽劇団が常打ち小屋として使用したヴァンセンヌの森の中にある昔の弾薬庫だった大空間もある。もともと演劇史は劇場史と軌を一にしていて、ギリシャの円形劇場、ローマの半円の劇場、ルネッサンスのイタリア式劇場、シェイクスピアで名高いエリザベス朝式劇場などの空間的な造作が、演目をも支配したことは演劇史の常識だ。ぼくも、そうした演劇空間(セノグラフィー)の歴史を、かつて一冊の書物にまとめたことがあった(『視線と劇場』弘文堂、1987年)。井上ひさしは、そうした演劇史にまったく無知だったとしか言えない。むしろ空間は「へんてこりん」で良いのだが、演目はむしろ古典的な(平凡な)ものが良く、それを「へんてこりん」な空間でどうやって作り上げていくのかが演出というものだ。20世紀後半の演劇史は、既存の演劇空間への反撥として記述されるはずだ。日本でも、唐十郎の紅テント然り、佐藤信らの黒テント然り、喫茶店の2階を演劇空間にした初期の早稲田小劇場然り、そして街頭演劇を目論んだ寺山修司然り。それらの演劇実験に比べれば、井上ひさしの「こまつ座」の舞台など、従来の劇場構造にまったく疑いを持たない保守的な舞台にすぎない。

 つまり、劇場は施設ではない。舞台空間という生み出す、創造の源なのだ。一番有名な例は、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーン(「なんであなたはロミオさまなのでしょう」とジュリエットがバルコニーを下から上がってくるロミオに言う件)だろう。エリザベス朝の舞台には、かならずバルコニーがあって、上層を下層のふたつの演技空間があった。だからこそバルコニーのシーンが想像できたことになる。つまり、エリザベス朝の「へんてこりん」な舞台空間がなければ、『ロミオとジュリエット』なんて生まれなかったろう。劇場という空間は、舞台にとって決定的な要素なのである。

 

4月28日(木)

 8:50起床。植物園に行く。 
思わず擬似科学のマイナスイオンを全面的に信じるぐらい酸素が濃い庭園。ベンチで1時間静止。

14:30石井隆監督『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』(10)。竹中直人の顔がウケていた。17:00実行委員会との交流会。ボランティアスタッフの方たちと話すと、必ずしもドイツ人であるわけではなかった。イングランドやオランダ、ルーマニアなどからの留学生であったり、ニッポンコネクションを目的にドイツへ来た方もいた。目的も様々で、日本語や文化を学んでいる方や、映画祭自体に興味があって参加した方もなども。懸念していた通り、僕は自分の顔と名前から、まったく日本からのゲストとは思われていないことが判明したので、自分の映画も上映すると自己紹介を何度もする。19:45石橋義正監督『ミロクローゼ』(11)観る。映画祭側からドリンクチケットを蛇腹折で頂いていたので、ビールをのみ続ける。CALFのナガタタケシさんと、現在のお互いを取り巻く環境や状況についていろいろお話する。普段はあまり知り合えない方と話ができて楽しい。24:30帰宅。地下鉄も難なく乗る。自動販売機にお金を入れたが操作法がわからず何も出てこなかった。

4月27日(水)

 08:30起床。マンションのエレベーターが異音とともに急に止まり死ぬかと思いふと見ると、懐かしのシンドラー社製であった。美術館にアラーキーの写真の展示が。18:00に会場へ。

 

ゲスト歓迎会、ニッポンコネクションのスタッフとゲストが集う。『我武者羅應援團』という日本からのパフォーマンス集団が3・3・7拍子を披露。スタッフ挨拶では、やはり震災の話題が出る。19:30「ニッポンシネマ」の会場でオープニングセレモニー。約500人ほど入るホール、満員。ついにニッポンコネクション、開会。開会式と上映が直結らしく、気付くとセレモニーは終了し矢崎仁司監督『スイートリトルライズ』(10)が始まっていた。本編が始まる前に、フィルムに焼かれた映画祭の予告編が流れ、妙に感動。「ニッポンビジョンズ」の会場では平波亘監督『青すぎたギルティー』(10)。定員120名程のところを、ほぼ満員。アフタートークも質問がたくさん出て盛り上がっている。正直、極東日本のインディーズ映画にどれだけの観客が来るのだろうかと思っていたのだけれど、驚く。人数もさることながら、観客の層も、友達連れやカップル、学生らしき若者から老人まで幅広い。雰囲気としてもふらっとやって来たような気楽さがあって、あまり日本の劇場では感じられない雰囲気だなと思う。時刻はすでに22時を過ぎていたが、会場は多くの人で溢れている。ビールや、会場で売り出されている日本酒を飲む人々など、多数。地下鉄。乗り方を平波監督と俳優の土屋壮さんに教わり、なんとか帰る。