10/11 けっこう暑い

毎回このシーズンに山形にやってくると必ず風邪をひくので、今回は防寒に気を使ってみたら、暑い。10月だというのに半袖一枚の暑さはちょっと経験したことがない。関係ないが、実家に泊まったらくしゃみが止まらない。実家アレルギー。
映画祭の直前まで、酒井濱口の東北記録映画三部作やアルフォンソ・キュアロン『ゼロ・グラビティ』(未見だが)の主観ショット(?)について考えなければいけない機会があり、そうした考え方を引きずったままドキュメンタリー映画祭に突入することになった。『うたうひと』や松林要樹『祭の馬』のような最近の特定のドキュメンタリー映画が、いわゆる劇映画よりもずっと大きなフィクションの力を駆動させているように思えること、またフィクションにおける観客の「リアリティ」を増強するためのテクニックが、どこか自然さとは別の方へ向かおうとしているかもしれないこと、そんなことを考えながら、数多くのいわゆる「ドキュメンタリー映画」を見ることになる。

一本目はイグナシオ・アグエロ『サンティアゴの扉』。監督の家を訪れた様々な人々の家へ、今度は監督とカメラが訪ねていって撮影する。そこにチリの歴史、監督一家の家族史がほとんど脈絡もなく介入するかたちで構成されている。
これは映画自体に対する評価というより、上に書いたようなことを考えていたせいで完全にものの見方がゆがんでるなという話なのだが、監督が家のなかを撮影しているときに決まって図ったようなタイミングでドアベルがなるな、とかそんなことばかり考えてしまう。なので、なぜ訪ねていった人々の家は地図上で位置関係が示されるのに、実際のその場所への距離感がまったく描かれないのはなぜか、とかそういうことがうまく消化できないまま見終わる。1945年に結婚した両親の写真で、お母さんがちょっとだけイングリッド・バーグマンに似てる、とかそんなことばかり印象に残る。

時間があいたので、霞城公園のとこの古本屋でジャック・フィニィの『クイーン・メリー号襲撃』とコリン・ウィルソンの『宇宙ヴァンパイアー』を100円で買ってちょっとほくほくする。

続いてノ・ウンジ、コ・ユジョン『咲きこぼれる夏』。HIV陽性者の男性カップルの2年間の同棲生活を追う。
よくできた青春映画。これをラブストーリーではなく、青春映画と呼びたいのは、彼らの間に愛があるのかどうかという問題よりも、彼らがともに過ごす時間、それもやがて終わりを告げることがわかりながら過ごす時間の切り取り方が清々しかったから。特に21歳で男娼をしていてHIVに感染した方の男性が、スクリーンの上ではすごくいい俳優だった。かつて様々な映画やドラマで描かれたような男娼やHIV感染者といったマイノリティの表象をごった煮にしたような人生をナイーヴに生きる人物が、ふと「善い人生を生きるってどういうことなんだろうか」とか呟いたりするのはなかなかよかった。