フランス日刊紙「リベラシオン」ロカルノ映画祭総括

ロカルノ映画祭授賞式、『サウダーヂ』を忘れる

フランス日刊紙「リベラシオン」2011816

フィリップ・アズーリ

 スイスのロカルノ映画祭は土曜日に授賞式を行ったが、日本社会の不安を描いた富田克也監督の『サウダーヂ』は受賞作品の中から外される。同映画祭を総括する。

 64回ロカルノ国際映画祭は、社交界的なけだるさが漂う中で開幕した。ある嵐の夜には、アベル・フェラーラがトラットリアでギターを乾いた音で弾いていた。そして同映画祭は、土曜日に外交的な揉め事の騒ぎの中で幕を閉じた。審査員長のポルトガル人プロデューサー、パウロ・ブランコが授賞作品発表のプレス記者会見にて、スイス人監督フェルナン・メルガールのドキュメンタリー作品『Vol spécial』を「ファシスト的」であると述べたのだ。『Vol spécial』はスイス国境で、避難所を求めてやって来る外国人たちを追放している現状についてのドキュメンタリーだ。フェルナン・メルガールは最近、頭角を現してきているドキュメンタリー作家であるだけに、この発言はスイス国民を驚愕させた。メルガールは土曜日の夜、名誉を傷つけられたとして、ブランコを訴えると声明を発表した。

 しかしメルガールはその方法の両義性の代償を払うことになったのではないだろうか。(……)『Vol spécial』は、身を潜めて暮らしている人々の状況の複雑さをきちんととらえられているだろうか? 礼儀正しくても、外国人たちを国外に追放する行政機関の冷笑的な態度を示し得ているだろうか? ブランコはこの作品に激怒しながら、おそらくレーモン・ドゥパルドの何本かのドキュメンタリー(たとえば『Urgences』など)を思い出していたのではないだろうか。ドゥパルドンの作品を見れば、大衆への媚、デマゴギーの疑いから作品を守るためには、フレームをきちんと選択すればよい、ということが分かるからだ。

見えない者たち

 そこまでラディカルさを見せるならば、ブランコ率いる審査員団には、金豹賞の選択においてもそのラディカルさを見せてほしかった。しかし残念ながら、同映画祭の最高賞はスイス=アルゼンチン人の若手女性監督ミラグロ・ムメンターレーの『Abrir puertas y ventanas』の手に渡った。三姉妹が、ブエノスアイレスにある祖母の残した大きな邸宅にてひと夏を過ごす。チェーホフ的ながら、何の神秘もないこの作品への最高賞は、同映画祭ディレクター、オリヴィエ・ペールが確実なる手腕で率いた今年のロカルノ映画祭の豊かで濃密なセレクションを反映していないと言わざるを得ない。

 とりわけ疑問に思うには、どうしたら審査員たちは、これまで無名だった39歳の日本人監督富田克也の『サウダーヂ』に賞を与えずにいられたのかということだ。三時間ちかくあるこの作品は、いまや見られなくなった自由さで撮られている。上映会場フェヴィでの舞台挨拶では、主演俳優のラッパー・田我流がフリースタイルを披露し、その即興の歌の中で日本の政治家たちが嘘つきであることを激しく非難しながら、3月11日の大地震、津波の二重の大災害の被災者たちにそのフロウを捧げた。3月の大災害以前に撮られている『サウダーヂ』は病んでいる日本社会を見せながら、日本の権力者たちに公然と挑むことをもはや恐れることはない。『サウダーヂ』というポルトガル語のタイトルは、気取ってつけられたわけではない。同作品は、3つ、あるいは4つに分かれる人々の生の軌跡を追いながら、タイ人、日系ブラジル人たちの日常を描いているのだ。彼らの存在は日本社会で認識されていないが、建設工事現場の労働者、あるいはバーのホステスとして働く者もいれば、どこからも拒否されてしまう者もいる。『サウダーヂ』はまた日本人の若者の混乱も描いている。すべてを約束されながら、突然の経済危機によって、外国人を排斥するような言説や、社会の中でまったく居場所を見いだせない者たちを、彼らの場所を奪ってしまったと非難することでしか答えを見いだせず、激しくぶつかり合ってしまう若者たちの狼狽を。

 富田克也は、(フランスではごく一般的な)国や自治体の助成金やテレビ局などの出資を得ることなく、一般に寄付金を募って集めた約8万ユーロの予算でこの作品をHDビデオカメラで撮った。週日は日本の中央に位置する甲府の周辺でトラック運転手として働き、週末に、主演俳優の鷹野毅や伊藤仁が働く建設工事現場をロケ地に撮影を行った。かつてのジャン=リュック・ゴダールの処女短編作『コンクリート作戦』が思い出される。「LExpresso」誌の優秀なポルトガル人映画批評家、フランシスコ・フェレイラはこの作品についてさらに明確な比較をしてくれている。そう、『サウダーヂ』は「ロバート・クレイマー的」な作品である。間違えてしまった者も含め、あらゆる言説、意見を羊飼いのように集めるように、自分たちの国を想像したクレーマーが70年代中盤に撮った『マイルストーンズ』のようだ。『サウダーヂ』は、アイデンティティの建設工事現場であり、そこでは自分たちの墓を掘る者たちが、自らの根源を求めるために必死になっている者たちと出会う。

失踪

 『サウダーヂ』という甲府の山の向こうには、『東京公園』という公園、青山真治の新作が広がる(46歳でこれまでのすべての業績を讃えた審査員特別賞を授賞するという快挙!)。これまでの作品に比べると人間たちの内面に向かう作品ではなく、一種の見せかけの商業映画である『東京公園』は『欲望』(公園、女性、写真)のように始まる。そこでは互いの間の繋がりが見えなくなっているが、まさにその繋がりによって結びついていく人々の輪が描かれている。

  幻滅し、傷ついていながら、そこには知性がある。コンペ外作品として上映された30歳の真利子哲也監督の非常に美しい中編『NINIFUNI』は、日本の道路の上での絶望的な逃避行を描いていて、そのフレーム感覚はスティーブン・ショアーの写真を思い出させる。この作品の傷ついた沈黙はひとつのことだけを述べている。私たちはもはやどこに行けばいいのか分からないのだと。3月11日以来、日本の悲しみがより強く響いてくる。

 翻訳:坂本安美

本文中で、『サウダーヂ』の出演者の名前や、監督の職業について事実と異なる記載がされていたので、正しく訂正させて頂きました。