「生々しさ」ではない何か

――ちょっと微妙な言い方なんですが、「親密さ」というのは、何と何のあいだの「親密さ」なのでしょう。そこにどういったイメージが込められているのでしょう。

濱口何なんでしょうねえ……。このタイトルを思いついたのはずいぶん前で、舞台劇『親密さ』は元々は『何食わぬ顔』の直後に書いたプロットだったんです。「親密さ」という語がなぜでてきたか……。もちろんその頃から今回のやり方のアイディアがあったわけではない。まあ演劇部分のプロットは、ほぼそのとき書いたものに近いわけです、タイトルも『親密さ』だった。それは当時は「本来だったらけっして交わらないもの」同士のあいだの親密さ、ということだったと思います。それは物語のレベルで考えていたことでしたけどもね。すれ違ってしまうもののあいだに、それでもあいだだけは、やはりある……。

――『親密さ』と『なみのおと』を見てすごくハッとしたのは、おそらくここでは役者(あるいは、そこに映る人物)とキャメラが、どのように「親密さ」を築けるかどうかが、問われているのだろうということです。すべてそこなんだと。だからこそ「正面から撮る」という実験をやっているのだろうと。

濱口うん。役者同士が信頼関係を築いたり、親密さを獲得するのは、極端に難しいことではないと思うんです。ただ、その親密さをいかにそのまま外に、観客に開けるかどうか、ということが問題にされる必要があると思います。さっき、役者に敬意を払うべき、という話をしましたけど、それはきっと役者にとって最も重要なものを、彼がキャメラの前に、つまりはあらゆる観客の前に差し出すから、なんですよね。それはとても危険なことだとも思う。その危険なことが、いったいどうしたらできるんだろう、と。その問題意識が『親密さ』に持ち込まれた気はしますね。

『何食わぬ顔』

――あの正面のキャメラというのは、最小限の演劇空間を、映画の撮影現場のただなかに作ってしまう仕組みだと思うんです。演劇と映画の両方を経験するある役者さんが、キャメラとのあいだよりも、観客とのあいだの方が親密な関係を築きやすいと言っていたんです。キャメラの方が怖い、と。ところが正面にキャメラを置くことで、ある意味、役者にとってキャメラは観客になる。そしてそこが最小限の演劇空間に変容することで、舞台上で演技するときに近いテンションと親密さを、彼らは獲得できるのではないかと。

濱口「キャメラと役者の親密さ」…。そうかも知れません。ずっとそれは役者にとって、とてもやりにくいことだと思っていたんだけど、むしろ、キャメラを正面に置くことによってしか出て来ないものが、出てくるようになったとは思います。役者と役者が向かい合うときに、斜めの方にキャメラがあれば、絶対に彼らの視界にはキャメラが入ってしまい、やりにくいんじゃないかという気が今はします。集中力の10~20%は、相手ではなくどうしてもキャメラの方に向けざるをえない。そうすると「演じる」ということがどうも濁ってしまう気がする。逆に正面にポンと置いたとき、こっちが思っていた以上に、「演じる」ということそのものに達する瞬間があるんですよ。そのとき「演じる」というのは、たとえば「生々しさ」とか、そういう我々の生活のなかでふと出てしまう仕草だったりの類いではなく、それよりも一段、より尊いものだという気がするんですね。たとえそれが、リアルからはほど遠いとしても、そっちの方が映画によって撮られるべきものだ、と思うんです。そして、次作はきっと、それを真正面でなくとも撮れるようになる必要があるだろうと思ってます。

――「生々しさ」ではないもの。それはいったい何と名指されるべきなのか。難しいですよねえ。でも実際映ってるわけですけど……。では、『親密さ』から少し離れて『なみのおと』について伺います。最近の濱口さんといえば、仙台を拠点にしているわけですが、もう仙台どれくらいになりますか?

『なみのおと』

濱口1年2ヶ月ぐらい経ちましたね。思ったより長引いたので東京のアパートも引き払いましたし、そのあいだのほとんどは仙台で過ごしていましたね。

――仙台ではどのようなことをされているのでしょうか?

濱口『なみのおと』の続きとして、同じやり方で沿岸部のインタヴューをずっと続けています。撮影は7割方で、撮影に関しては終りがようやく見えてきました。それは『なみのこえ』という映画になる予定です。その一方で、同じやり方で東北の民話語りってのを追いかけているんですよ。これがなかなか楽しくてですね。民話語りの記録は『うたうひと』というタイトルの映画になります。それを作ったら東京に戻ろうとは思っていますが、まだ撮影が終わっていないので、少なくとも秋まではあちらに残るはずです。

まあ、でも向こうでぼくたちが何をしているかと言ったら……ずっと待ってるわけですよ。要するに「今日会いに行ってもいいですか?」「今日は忙しいから無理だね」となって、じゃあほかの人に当たってみて、でも同じ返事が来て……。その繰り返しで、そのなかで都合の良い日に3~4回会って話を聞いて、というかたちでやると、気がつけば1ヶ月なんてすぐに経っている。そのあいだは文字起こしをしたり、まあちょっとダラっと(笑)したり、ですね。

――その「待つ」という感覚は、濱口さんにとってどういうものなんでしょう?

濱口正確には、単に予感に従う、ということかも知れません。いいものが撮れそうな予感がしたら撮るし、撮れないという予感がしたら、その予感の理由を1つ1つ削って行く。それは別にスピリチュアルなものじゃなくて、結構具体的なものなんですが、その予感にちゃんと従えれば良いものが撮れる、という確信じみた思いが最近はあります。共同監督の酒井ともそう話すし、彼の方がもしかしたら僕よりもより強くそう感じているかもしれないけど、「今やってもうまくいかない、現場で奇跡でも起こらない限り無理だろう」とかはすぐわかる。そして奇跡というのはやはり起きないわけですね。そうなると、相手と話してて「いけるな」というのが掴めるまで、やっぱりキャメラは回さない。「いけるな」ってふたりが思う瞬間って、基本的に一致するんです。それは感性の問題じゃなくて、やっぱり単に目の前の「いいものはいい」からだと思うんですが、「いける」っていうのは彼らがきっとキャメラの前で何かを見せてくれるだろう、という予感のことですね。そうやって「いけるぞ」ってとこまで待つスタイルだと、必然的に長くなって今に至っている気がします。こういう撮り方を、いろんなところでできたら、そりゃあ理想なんだと思いますねえ……。

――その「待つ」時間は『親密さ』でいえば舞台稽古なわけですよね。じゃあ、今後いわゆるスケジュールの決まった「普通の」映画をつくるときに、どこまで、どうやってそれが応用できるのか……。

濱口 そうだよね……。でも、自由というのが自由に動き回ることではないように、待つということは必ずしも長い時間を意味するのではないかも知れない。時間やお金があれば、いい映画を作れる可能性はもちろん上がる、だけど、それが絶対条件とも思いません。今はどんな企画でもやらせていただけるものはやりたいですね。なんでもやります(笑)。

――『なみのおと』がロカルノ映画祭のコンペ外部門で上映されることが決まりまして、本当に素晴らしいことだと思います。昨年もコンペに空族の『サウダーヂ』(11)と、コンペ外では真利子哲也監督の『NINIFUNI』(11)が選ばれた。そして今年は三宅唱監督の『Playback』(12)がコンペで、コンペ外に『なみのおと』が上映される。30歳前後の「若手」の世代が、こうやって国際映画祭で見られるようになるのは、ほんとに嬉しいですね。

濱口 『なみのおと』に関しては、本当にいろんな場所で見られた方がいいと思ってる映画ですから、ロカルノで上映できることが決まったときはとても嬉しかったですね。今回、英語字幕を確認していて、彼らの語る話の素晴らしさに改めて気がついたりもしました。あの会話が、彼らのあの顔とともに、世界中の方々に見てもらえたら、と思ってます。

そして、こういう言い方をすると誤解を招くけど、一方で、すごくおもしろい映画、見るべき映画ってのが、必ずしも国際映画祭みたいな場じゃなくて、同世代のなかに確実に存在しているっていうのは常々感じて来ました。それが瀬田なつき、加藤直輝、三宅唱、佐藤央……だったりね。ただ、一方で僕らの世代に映画を作る上で欠けてる部分ってのも、たしかにある気が最近してます。

――それは何なんでしょう?

濱口 うーん……、まだ上手く言えないですけど、ひとつは確実に、歴史ですよね。歴史の感覚。映画史の歴史ではなくて、アイデンティティとしての歴史でもなくて……。見つめる対象としての歴史でしょうか。僕らはそれがどこに在るのか知らないまま、ここまで来てしまった気はしてます。だからと言って、ルーツ探しを始める気もまったくないんですけど、大きく欠けたピースは間違いなくあって、それとどう付き合って行ったらいいかな、とは最近よく思います。

――最後にレトロスペクティヴについて、ひとこと頂けますか?

濱口 とくに若い方々には来てほしいな、と思っています。東京に出て来たばかりの子、とかね。気がつけば『PASSION』もすでに4年前で、当時14~15歳だった子たちが、いまはレイトショーに来られる歳になるぐらい、気が付けば時間が経ったんだなあ、と思ったりするので。『親密さ』とか『何食わぬ顔』(03)とかは、20歳前後の子たちの話なので、ぜひその世代の人たちに見てもらえたら嬉しいですね。映画好きとかじゃなくて、「渋谷で変な映画がやってるぜ」って感じで、来てくれたら一番ありがたいなと。

聞き手・構成=田中竜輔、松井宏
写真=松井宏

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