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January 16, 2004

『コール』ルイス・マンドーキ

[ cinema , cinema ]

父と母とその娘はまずそれぞれの場所で個室に監禁される。閉められた窓にはカーテンが掛けられその外を深い夜の闇が横たわり、二重のヴェールが個室空間を包み込む。その個室に偶然誰かが訪れても誘拐犯はしたり顔で追い返す準備ができている。その密閉されたかのような個室空間を打ち破ることになるのが、娘の咳である。彼女は喘息症なのである。
父と母が誘拐犯と携帯電話で交渉し、叫び声と怒声をどれだけ響かせて犯罪の完成と崩壊を争ったとしても、それらは娘の喘息だけで吹き飛んでしまうのだ。咳き込んだとき娘は話すことができない。だが、話された言葉よりも直截的で透明な「言葉」を娘の咳は語ることができるのだ。
喘息の発作を境に、個室を包んでいたヴェールが透きとおり始めたかのように、空間は外に向かって広がり出す。四角い鏡やTVモニターのような「内部の窓」はしだいに消え失せ四角い枠だけが残り、それが移動する車や飛行機の窓枠となって風景を切り取り始める。たとえばそれは、夫婦が密かにメールを交わし合うモバイルの四角い液晶画面でもある。思い出そう。犯人が愉快な誘拐ゲームの始まりを告げたのは、口紅で窓に書かれた「BAD IDEA」の文字だったし、そのあと不覚にも彼が娘の病気について知るのも薬瓶に記された「asthmatic」の文字によってだ。つまり、そうして手で書かれ印字されていた文字までが、娘の咳をきっかけに、明滅し移動するe-mailの文字に変貌し始めるのだ。
最後に3人の人質たちは一カ所に集結することになる。それは誘拐犯たちの失敗を意味する。というのも前回の犯罪において犯人たちがその成功を確認しあったのは狭い車の中だったから。それとは逆に、今回彼らが集まってしまった場所は、自動車が転倒し窓が砕け散り炎の上がる路上、それもフリーウェイという遮るもののない交通の空間であったのだ。画面に映る文字や四角形がなめらかに流動化してゆき、そしてそれが注ぎ込む終着点において、私たちは再び娘の咳を聞き、そのアクションとしての明瞭さを知るだろう。

衣笠真二郎