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January 17, 2004

『1980』ケラリーノ・サンドロヴィッチ

[ cinema , cinema ]

ジョン・レノンが殺された翌日(1980年12月8日)という日付から始まり、12月31日にビルの屋上から夕暮れの「トウキョウ」を見渡すという行為で終わる、という要素だけでも、この作品のつくり手のなかに「80年代」ではなく、「1980」、あるいはむしろ「~1980」という意識があったことは想像に難くない。無数に登場する「1980的」アイテム(YMO「ライディーン」、山口百恵『蒼い時』、蓮實重彦『シネマの記憶装置』などなど)もすべて「80年代」のものである一方で、同時に徹底して「~1980」のものである。
にも関わらず、「懐かしのTV番組」「あの人はいま」といったテレビ番組を目にするときに感じる薄ら寒い懐古感覚(厳密に言えば「懐かしい」のではなく、「懐かしいような錯覚」に過ぎないもの)しか覚えないのは、なにもその手のテレビ番組がいつも以上に垂れ流された年末に私がこの作品を見てしまったからというわけではなく、むしろ2004年の夏に見ても、おそらく2000年の年末に見ても、きっと同じような薄ら寒さを感じるに違いないからだ。もちろんそれを不変的と言ってしまうことなどできるわけもないのは、たとえば80年にウォークマンで聴いたYMOといまi-podで聴くYMOの間には同じものでありながらも絶対的な距離が存在するはずだからで、その距離に無頓着なのはそれこそ「ザ・ベストテン2003」の黒柳徹子の無節操ぶりと実は大差がないのではないか。

黒岩幹子