« previous | メイン | next »

April 13, 2004

『集合住宅物語』植田実

[ book , photo, theater, etc... ]

とりあえず僕は、生まれてから3年間を除いては、ずっと集合住宅に住んでいる。4歳の時に引っ越した公団住宅はもっとも初期の2DKで、次の引っ越しでそれが3DKに、その次の引っ越しで3LDKになり、留学していたパリでも当然のごとく7階建てのアパートの最上階の女中部屋をリノヴェーションした部屋に住んだ。つまり人生は集団住宅から集団住宅の移動に費やされている。
植田実の『集合住宅物語』は東京と横浜の戦前から70年代に至る代表的な集合住宅についてのルポルタージュだ。それぞれの集合住宅についてのカラー写真が美しい。各所にあった同潤会を中心とする戦前住宅のルポルタージュは、最近の保存ブーム以前に書かれたものだ。戦後の集合住宅についても原宿のコープ・オリンピアや旧目白台アパートなど、注目すべき集合住宅を訪ねた文章が興味深い。もちろん設計図があればもっとよいし、実際にある(あった──つまり戦前に建てられたものの多くはここ数年で取り壊しになった)場所を示す地図も欲しい。
この書物を読み終わった頃、六本木ヒルズの回転ドアの事故が相次いだ。朝日新聞の文化欄で内藤廣がきわめて興味深い一文を寄せている。回転ドアの事故はセンサーの性能やドアを改造すれば防げるだろうが、都市を再開発するプランは超高層のビルを連続して建てる以外ないのだろうか。低層の住宅に住んで生活している人々の生活そのものを活性化することこそ都市の再開発だろう、それが内藤の文章の趣旨だ。同感する。森ビルに乗っ取られたような六本木と原宿。旧国鉄用地の払い下げに大資本が参画して、どんな都市にすべきか何の議論もないままに高層ビルが林立してしまった汐留や品川。古いビルのゲリラ的なリノヴェーションは少しずつ進んでいるが、それらのモードの域を出ない。かつて藤原徹平は、このサイトで同潤会のような建物は、寄せ鍋のスープが出きってしまって、別の得も言われぬ味わいを醸し出すものだと書いたが、新たに建った高層ビルから将来味が出てくるとは思えない。
僕が母方の祖父の家で過ごした3年間のこと。横浜駅近くの平沼の跨線橋越しに煉瓦造りの豪壮な集合住宅が見えた。木造の祖父の家に比べるとその統一感が何とも美しかったのを覚えている。それは平沼の同潤会アパートだったと知ったのは最近のことだ。『東京物語』で夫を失った原節子が笠智衆と東山千栄子夫妻を招待し、カツ丼を出前させたアパートが同潤会平沼アパートだということだ。

梅本洋一