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June 27, 2004

『白いカラス』ロバート・ベントン

[ cinema , cinema ]

雪道をゆっくりと滑るように走るヴォルヴォ。その前に赤いピックアップ・トラックが現れる。2車線の道だが、トラックはまっすぐにヴォルヴォに向かってくる。ハンドルを右に切り、道路から下の大きな湖に転落するヴォルヴォ。『白いカラス』の冒頭だ。
ロバート・ベントンのフィルムを見るのは本当に久しぶりだ。『俺たちに明日はない』の伝説的なシナリオを担当し、『クレーマー/クレーマー』でオスカーに輝いた映画作家も、「構造の時代」のアメリカ映画にはついぞ姿を見せなかった。フィルモグラフィーを調べても、ここ数年はなんの仕事をしていたのかは分からない。僕は『夕陽の群盗』以来、ベントンが割と好きだった。クレジットを見て驚いた。シナリオはニコラス・メイヤー! 撮影はジャン=イヴ・エコフィエ!(まあエコフィエは最近の仕事はほとんどアメリカだから不思議ではないが、それでもベントンはかつてはネストール・アルメンドロスと仕事をし、アルメンドロス亡き後は、エコフィエが撮影とは、つまりトリュフォーからカラックスということだ。)原作は、フィリップ・ロスの『人間の傷』という小説だが僕は読んでいない。出演は、アンソニー・ホプキンスとニコル・キッドマン。
コールマン・シルク(ホプキンス)は大学の古典学の教授であり、学部長としての辣腕をふるった60 代の男だ。授業中に欠席の学生を「スプーク」と呼んでしまい、その語は亡霊という意味の他に黒人の蔑称であることから、大学の職を棒に振ってしまった。家に帰りそのことを告げると、妻は心臓発作で倒れる。職と妻をほぼ同時に失った老人は、中年の小説家と知り合い、郵便局で寂しげな目の30代の女に会う。彼の「最後の恋」の相手だ。
フィルムは、小説家と彼女を鏡にしてコールマンの過去が示されていく。フラッシュバックだ。実は黒人であるコールマンの過去が明らかにされていく。だが、このフィルムで興味深いのは、コールマンの過去と現在がそのように混ぜ合わせられることで、物語の円環が閉じられるからではない。もちろん話法上の巧みさ(これはニコラス・メイヤーの功績だ)もあるけれども、それよりも、ひとつひとつのシーンが、ひとつひとつ屹立していて、その連続よりも、それぞれが人生の濃厚な瞬間を切り取っていて、なかなか演出がよい。ひとつひとつのショットが物語を語るために寄与してはいるのだが、同時に、それひとつでも立派な存在感を示しているからだ。どの人物も、フレームの中でも、そしておそらくフレーム外でも確実に生きている感じがする。最近、こんなアメリカ映画を見たことがなかった。フレッド・アステアが歌うアーヴィン・バーリンの『チーク・トゥ・チーク』が流れてきて、とても感動したが、決してノスタルジックなものではない。

梅本洋一