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July 18, 2004

『スパイダーマン2』サム・ライミ

[ cinema , sports ]

前作は、「僕はスパイダーマンだ。だからいつでも君を見ている」だった。『スパイダーマン2』では、「僕はスパイダーマンだ。だから君のそばにはいられない」だ。つまり、初めてスパイダーマンになる『1』では行為と能力を見せる必要があったのに対して、もはやそれが前提となった『2』では存在と意志が問われる、ということだ。

極めて喜劇的に演出されるヒーローの苦悩は、表の顔と裏の顔のわずかな、しかし決定的な乖離を示している。壁を登れなくなったスパイダーマンがエレベーターで地上に降りるシーンなどはまさに象徴的で、前作ではほとんど聞くことのできなかったヒーローの声が、その奇抜な見た目とは裏腹にかん高い頼り無い声であることが笑いを誘う。今回フィーチャーされているのはスパイダーマンならぬピーター・パーカーの特性なのだ。今回の主役はスパイダーマンではなくピーター・パーカーだ。にもかかわらず、彼の表情はほとんど変化を見せることはない。バイトの店長になじられようが、彼女にふられようが、少し哀しそうな、ぼんやりした表情を崩すことはない。マスクをかぶっているのはピーターの方ではないかという気さえする。
敵役であるDr.オクはタコがモチーフであり、足の数はクモもタコも同じ8本。だが彼らの本質はまったく正反対である。Dr.オクが脊髄にめり込んだ機械によって操られ、また壁や地面に鋼鉄の脚をめり込ますことで歩行するのに対して、スパイダーマンはあの薄っぺらいラバースーツ以外にアイデンティファイするものを持たず(それは、ラバースーツがゴミ箱に捨てられる=スパイダーマンの死という市民のリアクションからも明らかだ)、壁の表面をするする滑る。師弟関係でもある彼らの間で取り交わされる言葉、「ピーター・パーカー、優秀だが怠惰」。この言葉にも明らかなように、地面(壁)と自らとを密接に関係付けるDr.オクの歩みの中にある力強さが、スパイダーマンには欠けているのだ。所詮彼は、ちょっと強いだけの人間でしかない。スーパーマンのように地球単位で人を救うことなんてできない。
ならば彼の強さ、ヒーローたるゆえんはどこにあるのか。それは表面をするする滑るだけの彼が、ブレーキの壊れた列車を停止させるシーンに見られる。はじめは力ずくで押さえようとする。失敗する。彼は非力なのだ。次に手首から発射されるウェブによって固定しようとする。ウェブの強度は充分だが、それを支える土台が砕けてしまう。最後に、可能な限り多くのウェブを発射して、自分にかかる負荷を支える点を増やし分散させることで、列車を彼が支え、その彼を町並みを形作る建物群が支える。そうしてやっと、列車は停止する。自らの力のみに頼ることなしに確かな歩みを得たとき、彼の顔はマスクに覆われてはいない。

彼は、8本脚のタコには負けない。クモよりも多くの脚を持つからだ。いや、多いのは脚ではなくて手、つかんで、伝達する器官。クモの巣の放射状の広がりが彼の強さの秘密だ。もはや彼はその巣で愛する者を搦めとってしまうことを恐れず、その巣が愛するものによって支えられることもまた恐れない。

結城秀勇