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November 22, 2004

『取るに足らぬ慰め』ジャン=クロード・ルソー

[ cinema , cinema ]

あふれる音は指向性を持たずに、あらゆる方向から一斉に降りかかる。意味を持った言葉も、コップや食器のぶつかり合う音に埋もれていく。そのなかでかすかに聞こえる、「良かったら行かないか……湖に……」。
『嵐の直前』では、露天の座敷での食事での歓談とその後の沈黙が、季節はずれの嵐の直前にあることを示し、またその嵐がいまそうである春よりも来るべき夏をより強く喚起させることに思いを巡らせている。その時間の流れにも似て、『取るに足らぬ慰め』では湖の眺めが、本来その契機となったはずのカフェでの時間に陥入してくるかのように、挿入される。湖面から眺める、後方へと流れていく崖の映像がディゾルヴで闇に溶けていき、再び浮かび上がる。それとタイミングを緻密に狂わされて、音がフェイド・インしてくる。
真ん中に置かれたもうひとつの始まりによって、老いた映画作家と若い男の旅が繰り返され、もうひとつの方向へと導かれる。「なぜあの光が瞬いて見えるか知っているか?」「空気のせいだろう」。そんな会話があったことを思い起こさせる、星座に似た配置の光の点滅が映し出され、ロベール・ブレッソンについての思いがけない会話が交わされる。ブレッソンの死の直後に出版された雑誌。そこで初めて、ただそれを保有するというほんの微かなつながりではあるものの、それが老いた映画作家と若者の間に確かに存在することがわかる。
『エレファント』の学校の中を歩きまわるジョンにまとわりつく完全な指向性を持った音、密室に満ちたリヴァーブに似て、しかしそれとは正反対のベクトルでこの作品は、老いた映画作家をではなく、若者をでもなく、そのふたりの間にあるものを微かに、だが確かに生起させる。

結城秀勇