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December 7, 2004

『三人三色』ポン・ジュノ、ユー・リクウァイ、石井聡互

[ cinema , photo, theater, etc... ]

チョンジュ映画祭企画のオムニバス。
『夜迷宮』(ユー・リクウァイ)。ユー・リクウァイの映画を見るたびに、このひとはなんで自分にできないことばかりやるのだろうと思う。ジャ・ジャンクーの映画においては、事物の輪郭と光線を写し取りそこにいくつかの名前を多層的に重ね合わせていく彼のカメラだが、しかしながら彼自身の監督作においては、自然光を排除し事物の輪郭を曖昧にしそれらに付された名前を剥ぎ取っていく映像に帰結する。それが魅力的なものになるのであればなにもいわないが、そうでないのでつまらない。画面に映し出されたものは皆、手を加えられ制約を受けているという印象をぬぐえず、かといって程良い抑制を体現しているかといえばそうではなく、むしろ過剰なまでの臆面のなさを見せる。
ユー・リクウァイの一本を除く他の二本は、ともに環境と視線を考察する。『インフルエンザ』(ポン・ジュノ)は、監視カメラの映像を直接用いることで環境そのものとしての視線を見せる。おもしろいのだが、どうやら駐車場のシーンなどを見ると全部が全部CCTVの映像ではないようであるし、タイトルが示す感染の恐怖はほんの一瞬かいま見えるに過ぎない。全編監視カメラ映像というアイディア一発勝負ものとして評価する気にはなれないが、このシステムの枠組みが手段や内容に感染していくという方向性に期待する。細菌が寄生するように単純な規律だけを抱えて、そこから先は混沌とした戦略で勢力を伸ばすのだ。
対して『鏡心』(石井聡互)は、環境と事物の境目を捉えようとしているように感じる。映画内映画という構造、テレビの画面、ガラス、鏡、水面、死と生など様々な境界面が現れるが、そんなものより私が興味を持ったのは冒頭の市川実和子とKEEの会話のシーンだ。市川美和子の唇とその横のほくろに気を取られてしまい、なにかをしきりにしゃべっているのはわかるのだが、内容をさっぱり聞き取る気にならない。切り返してKEEの顔のアップになると、彼のかぶっているハンチングが私にとある映画監督を思い出させて、こちらもなにを言っているのか気にならない。ガラス越しに車の走行音が響いてきて、その音と話し声が混じり合う。カットが変わるごとにカメラは引いていき、ガラスに鏡像をつくるふたりの姿と、そこから透けて見える風景がひとつの平面に並ぶ。このシーンこそが、後に出てくるバリの自然と渋谷の雑踏の対比などよりもすごく気になった。海と空と波の音の中に溶け込んでいく市川美和子よりも、ハチ公前のスクランブル交差点の雑踏にひとり晒される彼女よりも、唇の動きとほくろだけになった彼女がガラス越しの柔らかい車の音と混ざって区別がつかなくなってしまう時間の方が私にとってリアルで心地よい「環境」だったのだが、それがなぜだったかはよくわからない。

結城秀勇