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December 28, 2004

『犬猫』井口奈己

[ cinema , sports ]

『犬猫』は今年の日本映画における最大の収穫である。『子猫をお願い』や『珈琲時光』に勝るとも劣らぬ傑作だ、などと言うと大袈裟にきこえるだろうか。井口奈己の8ミリ版『犬猫』で既にその才能と出会っている方は反対に「なにをいまさら」と思うかもしれない。
『犬猫』が傑作であることを証明するためには、まず音について述べなければならないだろう。この映画では、ロングショットの後景にいる役者の台詞がワイヤレスマイクを使わずに録音されているため、自動車などの雑音にかき消されてほとんど聞こえない。段ボールを手に入れるためにコンビニにやってきたアベチャン(小池栄子)とヨーコ(榎本加奈子)の会話はほとんど聞こえないし、ヨーコとバイト仲間の三鷹(忍成修吾)が帰り道に階段を登りながら話をする場面でも台詞はまったくと言っていいほど聞こえない。それに対して、スズ(藤田陽子)やヨーコがコップや缶ビールをちゃぶ台の上に置く音は耳障りなくらい大きい。つまり『犬猫』は「台詞は聞こえなければならない」「耳障りな音は消さなければならない」といった<通常>の映画制作における音の処理を完全に無視しているのである。井口奈己は「マイクがそこにあり、その先に俳優がいて、車が俳優の前を横切り、そのとき鳥が鳴いた」といったその瞬間にしか生まれ得ない世界を、フレーム内外の分け隔てなく肯定しサウンドトラック上に再現する。予算の関係で録音部の人手が足りなかったりワイヤレスマイクがなかったりした可能性も否定はできないが、それすらも映画の強度となりえることをこの<異常>なフィルム自体が雄弁に語っている。
もちろん『犬猫』は音だけで成立している映画ではない。ほぼすべてのカットがフィックスで撮影され、出会いや別れのシーンが必ず坂や階段のような「斜面」で起こるのが、実はすべて夜の商店街を駆け抜けるヨーコと朝の河川敷を疾走するスズを捉えるキャメラの水平移動を強化するためだ、という綿密な映像設計も見てとれる。あるいはスズに家出された古田(西島秀俊)が鍋の底をほじくり返して残り物のカレーを食べる場面や、2回登場する線路沿いの坂道で上りと下りの電車(井の頭線)のすれ違う順序が入れ替わっているところなど、繊細な演出も忘れてはいない。しかし、このフィルムで何よりも素晴らしいのは、スズが古田と同棲していた家を飛び出して長い階段を駆け降りていくロングショットとそのときの彼女の足音である。遠ざかっていく彼女のばたばたという足音は、ロングショットでありながら雑音や騒音にかき消されることなく、いつまでも緩やかなデクレッシェンドで響きつづける。そのとき脚本に書かれた台詞よりもその場で生成された藤田陽子の足音に、言語化できない感情的な響きの美しさに、思わず耳を傾けたくなってしまう。

和田清人

渋谷シネ・アミューズにて公開中