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January 6, 2005

『ふたりにクギづけ』ボビー&ピーター・ファレリー

[ cinema , cinema ]

回想シーンの中に出てくる、鏡像のように左右対称な背中合わせのピッチングフォームのイメージほどには、ボブ(マット・デイモン)とウォルト(グレッグ・キニア)は対等な存在ではない。ふたりが同時に投球にはいるように見えるとはいえ、実際投げられるボールはただひとつしかなく、どちらか一方の手にしか握られていないように。ウォルトの体には肝臓がなく、その機能をボブの肉体に依存している。双子であるというには老けすぎたグレッグ・キニアの外見は、このふたりの身体組織の目には見えないかたよりに起因しているし、ボブはウォルトの分まで酔っ払うことにもなる。
ハンバーガーを猛スピードで作り、フットジャグの妙技を見せ、酔っ払った“クロオビ”をこてんぱんにするアクションはふたりの対等な能力の組み合わせからではなく、肝臓一個分の重みのバランスの悪さから生まれる。一方がもう一方の上に乗って繰り出す連続蹴りは独楽のようにくるくる回る。
この目には見えないバランスの悪さがこのフィルムの原動力になっているのは確かなのだが、一旦ふたりの体を切断する手術が成功してしまうと「バランスの悪さのなさ」は力のない笑いを生むことしかない。だがそこでもうひとつのこの映画の魅力がクロースアップされることになる。エヴァ・メンデスはビーチでグレッグ・キニアに聞く。「肝臓ってないといけないの?」。手術が終わるのを待つ彼女の顔に浮かんだ呆けたような表情や、パニックを起こして過呼吸になる寸前のマット・デイモンの顔の引きつり、そういったどこまでも表面的な部分こそがこの映画の本質だったことに気づく。ブルーバックに溶け込む全身タイツを着たマット・デイモンが、姿を消してグレッグ・キニアを持ち上げていたのとは正反対に、ありもしないバランスの悪さを包み込んでいた表皮だけが残る。ラストの舞台版『俺たちに明日はない』のシーンでは、舞台と客席を繰り返し切り返し、それまで登場してきた人物の顔をひたすらに列挙する。舞台の上のアクションよりもそこに居並ぶ顔の一覧を作ることが強調されるこのシーンだが、しかしそれでよいのだと最後のマット・デイモンの笑顔が物語っている。

結城秀勇