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March 12, 2005

追悼・シモーヌ・シモン
須藤健太郎

[ cinema , cinema ]

シモーヌ・シモンが死んで何日か経つ。彼女の主な活動期間は、30年代から50年代にかけてだった。ナチスが台頭し、第二次世界大戦が起こって混乱を極める世界とは逆に、映画は古典的な爛熟期を迎えていた。ヨーロッパの映画人たちがアメリカへ亡命し、ハリウッドを活気づかせていたその時代の流れに沿うように、シモーヌ・シモンもまたフランスからハリウッドへ、そして終戦後フランスに戻り、そのキャリアを築き上げていた。しかし、かといって、彼女はその時代を体現するということもなく、たとえばその時代の映画界を舞台だとすれば、まるでその片隅にいる端役であるかのように存在していたという印象がある。
だから、彼女の訃報を聞いてまず思った映画はマックス・オフュルスの『輪舞』だった。「ペルシャ猫のような」と形容されもする彼女の容貌がまさにはまり役だったジャック・ターナーの『キャット・ピープル』でもなく、ジャン・ギャバンと共演したジャン・ルノワールの『獣人』でもない。そのようなかわいらしい容貌の裏に凶暴な獣性を秘めた役柄の彼女よりも、主人の留守中にその息子とついつい関係を持ってしまう小間使い役を演じる彼女の方が好きだという個人的な趣味はさておき、中心的な登場人物としてつねに画面に現れ続ける彼女よりも、端役として少しだけ画面に現れる彼女の方が、なぜか強く印象に残っているのだ。『快楽』で、螺旋階段を恐る恐る上るシモーヌ・シモンもすぐに脳裏に浮かぶ。オフュルスの何とも言えない上品な雰囲気が彼女にはよく似合っていた。
実は、シモーヌ・シモンの訃報を聞いて、まだ生きていたのかとちょっと驚いた。もう何十年も映画に出演していない女優の訃報とは、そのように受け取られるものだろう。女優にとって、映画に出演しなくなることは、彼女の存在すら忘れさせてしまうことになるのだから。もし仮に、シモーヌ・シモンが多くの孫に囲まれて幸せな晩年を過ごしているというような報道がなされ、それを聞いたとしても、彼女がまだ生きていることにそれほど驚くことはなかったと思う。なぜなら、僕にとってシモーヌ・シモンとは、なによりもまず女優としての存在であり、映画に出演し、画面に現れるその姿こそが興味の中心だったからだ。つまり、彼女がどのような生活を送っているかというプライヴェートな部分にはまったく関心がなく、そういう意味では、不謹慎ながら、彼女の死に対してもどこか遠い場所での出来事のような、希薄な印象しかいまだに抱けないでいる。
だから、「追悼」なんて大それたことはできればしたくなかったし、いまさら極端に持ち上げるという行為も彼女にはふさわしくない。でも、シモーヌ・シモンも、仕える主人の息子と関係を結ぶなんて大それたことを、ついついしてしまっていたではないか。何か意味のあることは何にも言えないが、たぶん僕は本当に彼女のことが好きで、その死に際して何でもいいからひと言書きたかった。