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May 14, 2005

「ウナセラ・ディ・トーキョー」
梅本洋一

[ photo, theater, etc... , sports ]

久しぶりに砧の世田谷美術館に行く。12年ぶりのことだ。前に行ったのは「ラヴ・ユー・トーキョー」展。アラーキーと桑原甲子雄のふたり展だった。12年前が東京ロマンチカ、そして今度はザ・ピーナツの60年代のヒット曲のタイトルをそのままいただいたもの。歌謡曲は必然的にノスタルジックな感じがする。つまり、私も歳を取ったということだ。
平日の午後でとても空いていたので、内井昭蔵設計のこの美術館のディテールをしっかり観察した。もっとモダニストだと思っていたら、かなりライト風なディテールに溢れている。不思議な空間だ。
「ウナセラ・ディ・トーキョー」展はアラーキー、桑原甲子雄に加えて、高梨豊、濱谷浩、平嶋彰彦、宮本隆司、師岡浩次の7人の「東京写真」が集められている。展示の方法にはやや難がある。ひとりひとりの写真家についてほぼ同じ大きさで写真を展示しているだけだ。この方法では、それぞれの写真家が、東京のどの風景を選択しているかは分かるが、タイトル──東京のある夜──を必ずしも表象していない。アラーキーや桑原についても、そして高梨や濱谷について語りたいし、特に宮本隆司に私は大きな関心を持っているので彼についても語りたいが、とりあえず5月の雨模様の寒い午後、私の心を打ったのは師岡浩次の作品群だった。
師岡は1913年に芝に生まれ、1991年に深沢で亡くなっている。今回集められたのは、主に彼が30年代後半に撮影した銀座の写真だ。先日、別の関心から佐々木康の1937年のフィルム『風の女王』をビデオで見たが、主人公の三宅邦子が銀座のOLで会社の同僚の笠智衆と銀座でデートするシーンがあったが、そこには「モダン都市・東京」が映っていた。そして師岡の銀座の写真は、次第に戦争に突き進む銀座よりは、心が沸き立つような「希望の街」銀座が輝いて見える。服部時計店の夜景、銀座を闊歩する人々──まるでベンヤミンの「パリ、19世紀の首都」の映画版を見るような鉄とガラスと光の銀座がここにある。だが、その銀座の写真に並べられて、「戦後の銀座4丁目」と題された敗戦直後の銀座を映した1枚が展示されている。服部時計店は残っているが、やけに空の広い銀座とGIたちの姿が映っている。他のビルには焼けこげた痕が見える。まるで宮本隆司がそれから50年後に連作した神戸の震災後の風景のようだ。こうやって風景がなくなり、別の風景が生まれてくる。溜息をひとつ。そして、師岡の30年代の写真に笑顔で写っている人たちは、もうこの世にひとりもいないことを突然理解する。半ズボンで白いカッターシャツを来た少年たちももう私と同じ時間を共有していない。ロラン・バルトの『明るい部屋』をもう一度読みたくなった。

ウナセラ・ディ・トーキョー ANOHI ANOTOKIO − 残像の東京物語 1935〜1992
Afterimages of Tokyo 1935-1992
4月23日〜5月29日
世田谷美術館にて開催中