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June 29, 2005

『My Architect』ナサニエル・カーン
藤原徹平(隈研吾建築都市設計事務所)

[ architecture , cinema ]

myarchitect.jpg ナサニエル・カーンは、Louis Kahnとふたり目の愛人との間に生まれた子供であり、『My Architect』は父をほとんど知らずに育った息子が、父の建築を訪ね・父を知る人々にインタビューをして回る、いわゆる父親探しのドキュメンタリーフィルムだ。
 父親探しとはつまり「息子が父親の空白を埋めていく物語」であるのだが、ナイーブすぎて聞くに堪えないナレーションと必要性をまったく感じないバックミュージックを意識からはずしフィルムを注視していけば、息子の、ではなくLouis Kahn自身の、「空白を巡る物語」が浮かび上がってくる。

 Louis Kahnの建築をこうして改めて見返してみると、それが住宅であれ、美術館であれ、国会議事堂であれ、図書館であれ、いずれも単純な幾何学図形の組み合わせをしたシンプルな印象だ。実際にそれらの建築の特徴の図示を試みてみると、単に配置計画が幾何学的な明快さを持っているということや外形が単純な幾何学図形の組み合わせだということだけではなくて、だんだんと室内風景がそれぞれにとても幾何学的な印象をしていたりしていることこそが重要に感じられてくるが、しかし、それだけでもないように思えてきて、いつしかいずれの単純な幾何学的な説明も不十分に感じられてくる。例えばそうした印象は、Louis Kahnの建築の1/400配置モデルを観ていても初めはちっとも魅力を感じない(むしろ下手くそに感じられるかもしれない)けれど、内観写真を見ればすぐさま誰でも感嘆の声を挙げるほどの質の高さ・空間の格調があり(内観写真と言ったけど、ソーク研究所の中庭などを思えば内外すべての空間体験が幾何学的な印象と、言うほうがより正確かもしれない)、しかしそうして1/400モデルを見返すと何やらその単純な造形こそが秘密めいて見えるというような感覚にも集約されているように思う。

 ところで、室内外のあらゆるフレーミングにおいて、誰でも感じられるくらい明快に秩序を構築していく作業というのは、実際は気の遠くなるほどの作業の積み重ねであるだろうから、それはスタイルというよりかはほとんど病的な嗜好と言っていい。


 フィルムに出てくるLouis Kahnについての知人肉親の発言、Louis Kahnの肉声や表情から何となく感じ取れるのは、Louis Kahnがエストニアからのユダヤ系移民であることや幼いころに顔半分にひどい火傷を負ったことで周囲から孤立した存在であり続けたこと。建築こそを天職と選んだが、流行のインターナショナルスタイルに違和感を持ち続けたこと。そうした、寂しさ、孤独、自己否定と自己の本当のルーツへの渇望の混ぜこぜになったようなザラリと乾いた感触であり、Louis Kahnが人類文化の初源のひとつであるエジプト建築を再発見することで、それらの空白・乾きを埋め、爆発的にLouis Kahnの建築が生まれてきたことは、そう考えるととても自然のことのように思える。
 私にはLouis Kahnが身を削り・破産に追い込まれてまで打ち込んだインドやバングラディシュの設計で見せた情熱の異様さは、彼のかの地の社会や文化に対する愛の深さを示しているというよりか、自らの初源・より普遍的な愛への渇望であるように思えるし、彼の傷がいかに深く乾いていたかということを逆説的に示しているように思えてならない。

 Louis Kahnは1974年3月ペンシルヴァニア駅で死体で発見される。その最期に所持していたパスポートからは住所が消し去られていたという。自らの空白を埋めることに夢中な息子は果たして、父Louis Kahnの心の空白に触れることができたのだろうか。

 美しく、そして哀しいフィルムだった。


『My Architect: A Son's Journey』Nathaniel Kahn