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September 2, 2005

『宇宙戦争』スティーヴン・スピルバーグ
梅本洋一

[ cinema , cinema ]

 テレビのニュースでハリケーンのカテリーナが通過した後のアメリカ南部の映像や、バグダッドで、人々が将棋倒しになった映像を見ていたら、新潟で地震にあったときのことを思い出した。1964年のことだ。父の転勤で新潟にしばらく住んでいた小学生のぼくは地震にあった。昼休みでかなり長い初期微動の後、いきなり大きな揺れが襲い、校舎の窓ガラスが粉々に落下してきた。ぼくらはまず机の下に隠れ、それから校庭に出た。校舎の向こう側からは黒い煙が上がり、それはだんだん大きくなって快晴の空を曇り空に変えていった。「ゴジラだ!」 同じクラスの高橋がそう叫んだ。皆、そう思ったろう。事実は、地震で昭和石油のコンビナートが火災を起こしたのだった。級友たちは親が迎えに来て次々に帰宅していくが、ぼくの両親は来ないので夕方になって、ちょうど教育実習に来ていた学生が、親の来ない子どもを3人連れて家まで送ることになった。ぼくの家までは徒歩だと30分ほどだったが、あとのふたりの家がけっこう遠かったので、彼らの家にまず行くことになった。街に出ると水道管が破壊されて、道路は水浸し。ぼくらも腰まで水につかって歩いた。倒壊していた家も多かったし、5階建ての県営アパートも倒壊していた。道路には至る所に亀裂が走っていた。
 スピルバーグの『宇宙戦争』は「戦争映画」ではない。もちろんそこには宇宙人たちが乗るトライポットが数多く地球を攻撃しているし、アメリカ軍もそれに応戦しているようだが、勝ち目はないし、事実、人々は逃げまどうだけだ。トライポットがニューヨークに出現したときの映像は、新潟でぼくが見た昭和石油の大火災と亀裂が走った道路そのものだった。そしてトライポットが通過した後の映像はカテリーナが通過した後のアメリカ南部の映像とまったく同じだ。つまり、『宇宙戦争』は「パニック映画」なのだ。理由の分からぬ何かが突然やってきて、人々が逃げまどう。戦おうなどと思っても、理由のない敵に戦いを挑んでも仕方がない。だから必死で逃走、逃亡するだけだ。その逃走、逃亡の数々のシーンは、『激突』、『続・激突』で映画界にデビュした人らしく、演出がとてもうまい。もともと彼は逃走だけで90分持たせる術で今日の地位を築いたのだ。追いつかれる──つまり命を落とす──その瞬間に、ひらめきやら偶然やらが重なり、逃走を続けることができる。その反復。見る人は、なぜ追いかけられているのかなど次第に忘れ、どうやって逃走が続行できることになるのかに興味を集中する。
 だが、例外的な人もふたりいる。彼らは逃走をやめて、追いかけてくるものを戦おうとするのだ。主人公の息子と、主人公が途中で出会う元救急車の運転手(ティム・ロビンス)だけは、その「訳が分からない」ものと戦おうとする。訳の分からぬものに魅了され、その正体を突き止めることと、戦うことが混同されるのだが、このフィルムは、戦おうとするモティヴェーションをさっぱり説明してくれない。映画館という(本当は耐震、免震の点でどうなっているか分からないのだが)安全な場で、逃走を見る者にとって、追いかける何かに魅了されたいのだが、ぼくらのように地震とは何かに興味がなく、とりあえずそれから逃げおおせることだけが目的である人々にとって、訳の分からぬものに戦いを挑む気持ちがつかめないし、そんなことをしたら、逃げるだけでも大変なのに、絶対やられてしまうと思うだけだ。
 映画のラスト。映画だから当たり前なのだが、主人公と娘は逃げおおせる。ニューヨークからボストンに逃げ切ったふたりは、そこで主人公の前妻の家族と一緒に息子がいることを確認する。息子は父である息子としっかと抱擁する。小津安二郎の『麦秋』では、最初に撮影した家族の記念写真からラストの写真ではひとり消えているのが確認されるのだが、スピルバーグは、そんなことはしないようだ。否、息子は亡霊かもしれないが、もし亡霊だとしたら、このフィルム全体が単なるナイトメアだったのだろうか。一族が再会するボストンの路上は、ハリケーンが去った直後のように破壊された町そのものだが、息子と娘と父を除く、他の家族たちは一点の汚れもない衣裳だった。