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October 17, 2005

『バクステル、ヴェラ・バクステル』マルグリット・デュラス
田中竜輔

[ cinema , cinema ]

 完全な沈黙は時間を永遠に停止させるのかもしれない。郊外で開かれているというパーティーには軽快な音楽が鳴り響いているも、女の横たわるソファーに振動はまるで伝わっていないようだ。波はそこにはない。小さな電話が結びつける別の空間にその音楽は伝わろうとも、その波はどこにも存在しない。存在しないはずの音に満ちた空間。そこに完全な沈黙は存在しないのだから、時間が停止してしまうことはもちろんない。だが、そこに鳴り響いている完全な「オフの音楽」はその空間に従属する時間に生きているのだろうか。
「朝から聞こえてくるこの音楽は何?」——女の言葉だけがこの「パーティーの音楽」をその大きな別荘に繋ぎとめる。その音楽がいつかは終わるものとして受け入れられないのは、実際にそれがフィルムの終わりまで鳴り止むことがないという結果が導き出すことに起因するのではなく、その旋律のリフレインが一寸の狂いもなく繰り返されているものなのか、それとも微妙な差異をともなって反復されているものなのかを確かめる術が、その直線の時間上に存在しないからだ。「もしかしたらそれを聞いたのかもしれない」——そうやって束の間の記憶との照合を求めてみても、しかしそれを確認するために音楽は止まることはできない。音楽の停止とは、そのものの消滅、それ自体となる。
「ジャン(バクステル)は人を愛することができない……」。その場にはいない男のこと。電話の先に聞こえる声がその主のようだが、その電話の声はヴェラ・バクステルという幽霊のような女の叫びにも似た嗚咽(「C'est fini !!」)を引き起こす。彼の声は確かに存在する、電話機が繋ぐわずかな声の歪みによって、その波を聞くことになるだろう。それでも彼の姿はどこにもない。彼の声が停止する時、また彼の存在も消滅する。ただ、声だけの人。彼の声は確かに存在する、受話器を通して、信号となって。それが波だ。
 この場所は完全な沈黙を受け入れない。その男の妻と愛人が口を閉ざした時には、どこかから聞こえてくるはずの音楽が肥大し、その空間を埋め尽くす。1日が終わるそのときまで、それが鳴り止むことはない。けれども、その音楽は「1日」ではない、確かに90分近い時間の間に鳴り響いていたはずの音楽。言葉がその時間の中で歪曲していく。だが、日はまた暮れていくようだ。その場所に夏も近づいているようだ。時間は紡がれていく、呼吸は止むことはない。永久運動としての波のように。それでも、この時間は終わらなければならない。この永遠にも似た音楽、そこにイレギュラーな旋律が侵入する。その波は、遠く離れたジャン・バクステルの部屋にいつの間にか届いている。もう電話は繋がっていない。波は、姿ないままに世界そのものに襲い掛かり、消えていく。新しい波と、新しい時間と、新しい呼吸を、再びまたはじめるために。

「ドミニク・オーブレイ特集」
東京日仏学院にて上映中