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October 19, 2005

WBA対アーセナル 2-1
梅本洋一

[ sports ]

 WBAのヴォレーシュートが見事にアーセナル・ゴールに吸い込まれていくのを眺めていると、とても複雑な気持ちになった。おそらくこのゲームを落として3敗目を喫すると、いくらヴェンゲルが強弁しようと、今シーズンのプレミアシップの望みはない。幸いチャンピオンズリーグはまだ勝ち残っているが、シーズンの早い時期に3敗目を喫したこと(4勝3敗1分)。怪我人に枚挙の暇がないこと(アンリ、アシュリー・コール、キャンベル、ジウベルト、フレブ、そしてこのゲームではリュングベリ……)。アンリ、ジウベルト、キャンベル、コールはこのチームの柱だ。それにピレスのプレイにキレがなく、レジェスのシュートは相変わらず決まらない。ディフェンスラインはトゥレが引っ張っているが、センデロスはスピードがなく……。
 このゲームでもたとえばポゼッションでは、アーセナルが大きく上回っているだろう(WBAのフットボールはひどい。連携もへったくれもなく、ただ前方にボールを蹴るだけ!)。だが、パス・スピードも、選手が走るスピードも、ここ数年の中でもっとも遅い。もともとサイドからクロスを入れ、真ん中に飛び込む大男が頭で決める形を、セットプレイを除いて、このチームはまったく考えていない。つまりスピードの変化と短距離、中距離を織り交ぜた多様なパス交換。そして、左サイドからはコールとピレスとドリブル。キーになる選手を欠くと、このチームのメリットもなくなる。中盤のセスクは、ボールを持つとルックアップ。パスする相手を捜している。これでは潰されるか、バックパスを送るかどちらかしかない。もっとも大きな問題はディアゴナルに走る選手が誰もいないことだ。ヴァイタルエリアでアタッカー陣が全員ゴールラインに直線的に入るだけで得点が生まれるケースは稀だ。
 もっとも美しいフットボールを展開した時代のアーセナルさえ負けることは多かった。つまり、チェルシーのように相手に応じたフットボールをしないからだ。リアリズムではなく、アイディアリズムがこのチームを支配しているからだ。そして理想はいつも美しい。同時に決して手に入らないからそれを人は理想と呼ぶ。昨年までのこのチームは理想と現実の間の距離をできる限り縮めることで、勝利をもぎとってきた。そして、その理想の時間が、たとえ短時間でもゲームの中で展開するとき、ぼくらは信じがたい美に酔いもした。だが、今シーズン、理想を夢見る時間など、遙か彼方にある。とりあえず勝てない現実を見つめることから始める。チェルシー追走は来シーズンだ。停滞の時間こそ、別の理想を見つける時間でもある。