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December 13, 2005

『現代映画講義』大寺眞輔 編著
黒岩幹子

[ book , sports ]

odera.jpg この『現代映画講義』と一緒に書店で購入した「文藝別冊・[総特集] 大瀧詠一」の中で、大瀧がこのような発言をしていた。
「(前略)七〇年から八四年までの一五年間は行動の時代で、次の一五年間はその解説の時間。それでちょうど三〇年が経った。つまり、たとえばイチローがバッティングする時に、自分のビデオを見ながら解説しますよね。ただ、どんな人でも行動している瞬間と同時に考えてはいなくて、後でビデオをスローモーションで見ながら説明するわけです。(中略)自分としては、やったことを説明するというワンパッケージをやりたい。つまり、一五年間やったことがなんだったのかなと思って振り返ってみたら、大きな流れの中の一五年間だったということに気づいて、いい機会だったので『日本ポップス伝』(※95、99年に放送された大瀧のラジオ番組)をやったというわけです。だから『日本ポップス伝』は自分史と言える。(中略)自分のことを研究していたら結局ああなっちゃって、『私は広大な野のなかのひとつの部分でござい』ということを言ったまでなんです」。
 大瀧が「解説の時間」に入った後に、その「行動の時代」につくられた楽曲群に出会った私は、彼の楽曲を、〈初めから〉、「広大な野のなかのひとつの部分」としてつくられたものであるかのように聴いてきた。だから15年以上に及ぶ「解説の時間」、一方では沈黙の時間とも呼ばれかねないその長い時間が、なぜ大瀧にとって必要だったのか、それを計り知ることはできないと思う。ただ、「自分のことを研究していたら結局」、「日本ポップス伝」だったり、同誌に採録されている「分母分子論」のような「広大な野」を見渡す位置に立ってしまう、そのような人がつくった音楽だからこそ、私たちは今なおそれに魅了されるのだとも思う。
 前置きはこれぐらいにして、『現代映画講義』のことを書こう。同書は、2004年から横浜の日仏学院、横浜美術館で開催されてきたシネクラブでの対談(講義)を集めたもので、各回1本の映画、計9本の映画を主軸に議論が展開されている。その9本の映画はそれぞれ別のテーマにそって上映されてきたものだし、『マブゼ博士の千の眼』や『Helpless』などフランス映画ではないものも混ざっている。製作年もまちまちだ。たとえば、96年に製作された映画が9本中3本もある。が、「たまたま」同じ年に製作されたその3本、『ネネットとボニ』『イルマ・ヴェップ』『Helpless』が、順に語られているのを見ていくうちに、その3本が同じ年に作られたのは「たまたま」ではないように思えてきてしまう。それこそがこの本の魅力であり、「現代映画講義」というタイトルを持つ理由だろう。
 この本の重要性、それはあくまでシネクラブという映画を見る「場」から出発していること、そしてそのシネクラブがまだ始まって2年の、現在も継続中のものであることだ。だからこそ、いわゆる「研究書」的な性格を帯びることを拒絶するかのような編集がなされているのだと思う。
 この本の編者であり、シネクラブの主宰者である大寺眞輔と初めて会ったとき、「解説するのが巧い人だなあ」と思ったことを憶えている。私がひとつのことを考えて話す間に、何倍もの情報量と速度で的確な答えが返ってきて、正直私はただただ舌を巻いてしまっていたのではなかったか。そのせいか、私は大寺眞輔という人は「解説」の人であるという印象を(勝手に)持っていた。ちょうどシネクラブの必要性について話したのも、会って2回目ぐらいだったと思う。それから僅かな時間で本当にシネクラブが始まり、2年も経たぬうちにこの本が出版された。その事実を見るだけでも、大寺に対する「解説」の人という私の第一印象は容易に覆されてしまうだろう。いや、「解説」の人でもあるが、「行動」の人でもあったというべきか。
 それはこの編者の印象に限った話ではない。なぜなら、「シネクラブ」というもの自体が「解説」の場であると同時に「行動」の場でもあるからだ。そしてこの本もまた然り。「解説」と「行動」は同時にはなりたたないが、しかし、その間の時間を速くすること。それが「シネクラブ」の意義のひとつでもあるのかもしれない。それを踏まえて読めば、たとえば『マブゼ博士〜』についての黒沢清との対談や『Helpless』についての青山真治との対談が収められている理由も自ずと見えてくるのではないか。


次回の横浜日仏学院シネクラブ
12月17日(土)17時40分@横浜美術館レクチャーホール
上映作品:『パリのスキャンダル』ダグラス・サーク