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May 16, 2006

『訪れた女』ジャン=クロード・ギゲ
田中竜輔

[ cinema , sports ]

 つい先日まで名前も知らなかった映画作家の、さらにはわずか10分ばかりの短編、しかも字幕もなく台詞の内容もほとんど理解できないような「会話劇」の作品に、なぜここまで揺さぶられたのだろう。
 上映前に目を通した会話シナリオでおおよその筋はわかっていた。不倫相手に捨てられた女と、その女を家に迎え慰める女の会話劇。映画が始まると、まずひとりの女がベッドに横たわっているのが目に入る。その傍らには猫がいる。ベッドの奥の壁には3枚の絵画。この空間に太った女が入り込むことで、会話は始まる。テクストから想像したよりもエロイーズ・ミニュはの声は騒々しく、フランソワーズ・ファビアンの声は起伏を押し殺している。当然、そのフランス語のリズムでどこで何を言っているのかはほとんどわからなかったし、10分に満たない会話の時間は思ったよりもずっと短く、あれよあれよというままにふたりは別れてしまう。だが、その直後だ。フランソワーズ・ファビアンが1枚のレコードをかける。パタシューの「あなたの瞳よりも青い」という曲だ。枯れた音色によって奏でられるこのシンプルなシャンソンが流れると、それまで冷静に振舞っていたはずの彼女の表情が少しづつ崩れていく。何の台詞も、もちろんフラッシュ・バックもない。だが、この甘美さは何なのだろう。窓の外を見ている彼女の横顔があり、そしてその片隅でただ身をよじらせる猫がいる。そして、そこには聴いたこともない古いシャンソンが流れている。ただそれだけのことだというのに。
 この「あなたの瞳よりも青い」を選曲したのは他ならぬギゲ本人であると上映前に配布された資料には記されていた。たしかに音楽とは映画と同じように——ある限定された時間の中でしかそれは存在しないという意味において——、絵画より文学よりもより密接に記憶に結びつく存在であるのかもしれない。だが、ギゲという一個人の記憶と「あなたの瞳よりも青い」がどのように結びついているのかなどもちろん知る由もない。けれども彼はその音楽をかけることを、ひとりの女を窓際に近づかせていくことを、確かに決めたのだ。それだけで充分だ。
 レコードをかけようとするファビアンの仕草を目にし「あなたの瞳よりも青い」が耳に流れ込んでくるのを確認したとき、涙が溢れた。ここには決して若くはないひとりの女がいる。その傍らに1匹の猫がいる。そして聴いたこともないシャンソンが聴こえてくる。それ以上何もつけ加えることはないし、何もつけ加えるべきではないのだろう。「ただそれだけのこと」が徹底して「ただそれだけのこと」として映されているこのフィルムに、ただ、ひたすらに感動した。