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October 4, 2006

『パビリオン山椒魚』冨永昌敬
小峰健二

[ book , sports ]

冨永昌敬は小説版『パビリオン山椒魚』において、映画の主軸においた「母探し」の主題をあっさり捨て去ってしまう。そればかりか、映画で主要になった部分は大きく削られていて、映画を見たうえで小説を読んだ読者は驚きを禁じ得ないだろう。映画『パビリオン山椒魚』と小説『パビリオン山椒魚』では物語がまったく違っているし、小説版はあらかじめ「映画のノベライズ」というルールを破綻に追いやってさえいるのだ。
では、物語じたいも相似形をえがかず、ルールすら無視した、この小説『パビリオン山椒魚』は何のために書かれたのか。もちろん第一の理由は、依頼されたから、に違いない。しかし、どうせ依頼を受けたのならはっきりさせたかったことが冨永にはあったはずだ。それが他ならぬ「山椒魚」であった、と思われる。

山椒魚とは、キンジローとは何ものか?
何より山椒魚キンジローは150年間生きている。言ってみれば生き字引的な存在である。慶喜公も見ているし、万博にも参加した。「日本初の女優」川上貞奴に惚れたこともあるし、その貞奴に入れあげていたロダンにも遭遇した。さらにはビスマルクとナポレオン三世の歴史的な会談にも一役買ったりもしているのだ。
もちろんここに登場する人物たちと山椒魚が直接出会っているかどうかは疑わしい。というか、これは冨永がこしらえた荒唐無稽な「偽史」なのであるが、貞奴に伊藤博文が送ったとする淫靡な手紙やクララ・ボウが吃音症のせいでトーキー映画に出演できなくなったとするエピソードは冨永の豪腕的な歴史曲解であり笑いをもたらしてくれる。
おそらく150年もの長きを生きている山椒魚のみが見聞きすることができた、これら近代史(もちろんフィクションとしての「偽史」)がこの小説を通奏している。では、そう考えたとき、山椒魚とは何ものだったのかというと、それは「映画」のアレゴリーだった、と言えるのではないか。
 
映画は、言うまでもなく、万博やレントゲンと並ぶ近代的な発明のひとつであるし、映画は繰り返し「歴史」をフィクションとして描いてきた。たとえそれが正史であろうが偽史であろうが関係なかったはず。ばかりか、映画は物語(=歴史)をモンタージュでねつ造してしまうような装置でもある。だから山椒魚の視界に映るものにフィクション(偽)の色が強まれば強まるほど、それはまさに映画そのものに似てくる。事実、小説のラスト近く、山椒魚キンジローは主人公に過去・現在・未来の入り交じった映像を見せるだろう。さらに言えば冨永は映画で主人公の女性に「偽物とか本物とかどっちでもいいの」という象徴的なセリフを吐かせている。おそらく冨永が近代の象徴的なモノを扱ったとき、最も意識したのは「偽物とか本物とかどっちでもいい」映画という装置と制度であったにちがいない。

むろんその両方に絡め取られてしまう商業長編デビューにおいて、冨永は「映画とは」と問う壮大な実験を施したのだと言える。しかし、そんな壮大な実験にはもちろん失敗がつきものである。ただ、冨永に必要だったのは、成功か失敗かよりも、「実験」のデータであったはずだ。だから「長編映画のルールがわかった」旨の発言が感慨とともにあったのだろう。そして、何より小説版『パビリオン山椒魚』とはデータをもとにした冨永の商業長編映画デビューへのおとしまえだったはずだ。
したがって、この小説版は映画版への「批評」のように思えてくる。小説は映画を補完させるものではなく、さらに新しく、さらに野蛮に、書かれなければならなかった。冨永の言葉を借りれば「更新」ということか。ただしかし、このような壮大な「実験」と「批評」(もちろんこの批評は実験の覚書、あるいはレントゲン技師がつけていたようなデータを書き入れるカルテにもなる)は「莫迦」じゃなければやれない。
そう「莫迦」は前向きで、おとしまえをつけさえすれば、もう二度と過去は振り返らない。常に「更新」されるのだ。