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May 4, 2007

チャンピオンズリーグ準決勝2nd Leg: リヴァプール対チェルシー 1-0 (1-1、PK4-1)、ミラン対マンチェスター・ユナイティド 3-0 (5-3)
梅本洋一

[ cinema , sports ]

 ファーストレグがスタンフォード・ブリッジ、セカンドレグがアンフィールド、そしてリヴァプールのビハインドが1点。赤い群衆に埋め尽くされたアンフィールドを見ただけで、リヴァプール優位が見える。アンフィールドの魔力と言われるのだが、そんなものを信じないぼくでさえ、この晴れがましい舞台をホームで迎えるリヴァプールの選手たちを心から羨ましいと思う。このスタジアムのほとんどの人々にとって、リヴァプールの勝利は、彼らの人生にとってとても大事なことで、だから、挙って心からジェラードを始めとする選手たちを応援する。ホームの栄誉が準決勝の後半戦に回ってくるのは決定的なアドヴァンテージだ。
 その応援に応じるようにキックオフからリヴァプールは全開! 特に素晴らしいのは中盤だ。ジェラードについては書くまでもないだろう。チェルシーのランパードが霞んでしまうくらいの存在感。長くてスピードがあって、しかも正確なパスが両翼にきちんと収まる。そして、ジェラードに影のように寄り添い、徹底的にボールを拾いまくるマスケラーノ──W杯のときもアルゼンチンでは光っていたが、ジェラードの影に寄り添うことで、彼もまたチェルシーのマケレレが霞んでしまうほどだ。得点はヒーピアを追いやってレギュラーを獲得したアッガーのクリーンシュート1本に留まったが、PK戦でリヴァプールの勝利を疑う者はいなかったろう。
 もちろん日程の問題もある。プレミアシップをまだ争っているチェルシーに対して、プレミアシップを諦めて前戦を控え中心のメンバーで戦えたリヴァプールのアドヴァンテージもあったろう。けれども、着々と「自分のチーム」を作るベニテスとオーナーの意向とも対決しながらチームを作らなければならないモウリーニョとの差異もあるだろう。

 そして翌日のもう1ゲーム。豪雨のサンシーロ。この雨が、マンUの気合いに水を差し、ミランに大きく味方した。もともとはこうしたコンディションはマンUのものだったろうが、今年のチャンピオンズリーグの準決勝に残った4チームのうち、3チームがプレミアだという意味は、こうしたコンディションにマンUが強くないのだということである。つまり、中盤やサイドからガンガン、クロスを放り込んで全員がゴール前に殺到する旧来のイングランド・スタイルのフットボールをやるチームがなくなり、中盤でしっかりとパスを繋ぎ、スペースを作りながら、アタックしていくというスタイルこそ、プレミアのスタイルになり、すなわち、そのスタイルは、微妙なピッチコンディションに左右されることになる。クリスティアノ・ロナウドやルーニーの足下でボールが止まらず、そこにガットゥーゾ、アンブロジーニが詰めてきて自由を奪われるとすでにどうしていいか分からなくなってしまう。相変わらずの急造バックラインは、カカのスピードにもセードルフの揺さぶりにも対応できない。さらにホーム・アドヴァンテージもない。マンUがまったく無抵抗で3点奪われ完敗する。
 98-99シーズンの準決勝でロスタイムにバイエルンから2点奪った当時のど根性がもうマンUにはないのだ。寡黙なスコールズが引っ張る中盤は、下手だったが腹が据わり根性があったロイ・キーンの中盤ではない。右足のクロス一本しか取り柄のないベッカムも、なんやかんや言われても点だけは取っていたファン・ニステルローイももうおらず、ロナウド、ルーニーという何をやらせてもうまい万能型のFWしかいない。マンUは確かに華麗なチームに変貌した。だからこそ、まるでアーセナルが敗れるときのように中盤を潰されるともう打つ手なしになる。

 決勝はリヴァプール対ミランという一昨年の再来。ここでもミランの中盤がジェラードを潰せるのかが焦点になるが、華麗さではマンUに引けをとるリヴァプールにはまだイングランドのど根性が残っているように感じられる。