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June 2, 2007

「[新訳]今昔物語」東京藝術大学大学院 映像研究科制作作品
渡辺進也

[ cinema , cinema ]

中編作品の方を見に行く時間が取れなかったのでなんともいえないが、このオムニバス作品の方は中編作品とは違って、『今昔物語』という古典を原作とするということ、長さも20分前後にするといったようにあらかじめ制作にあたってより縛りがある。それゆえ、ここで問われるのは作品世界としてどうなのかということよりも、むしろエクササイズとしてどのようなレッスンを行えるかということだろう。もちろん登場人物をどう現代風にするかといったことであったり、ロケーションの問題であったり、物語を現代に置き換える際にセンスも必要だろう。だが、むしろ与えられた条件の中で何ができるのかという習作の面が強い。
短編作品だけで判断するのも難しいのでここではそれぞれの作品の良し悪しについては触れないけれども、総じて個々の作品の質は悪くないのではないだろうか。確かに内容を把握するという意味において場面を説明するのに正しくないショットがあったり、あまり重要ではないショットに冗長性を感じるところはある。だが、そうした部分というのは後々映画を作り続けることで解決することだろう。むしろ気になるのは意識的にしろ無意識的にしろそれぞれの作品の背景に透けて見えるレファランスの方だ。そのレファランスとはそれこそ具体的な固有名詞から、漠然としてあるクリシェのようなイメージまで含むのだが、ここで問題なのはレファランスが見えてしまうことではなくて、何をレファランスとしているかの方だ。例えば、格闘家が特訓をする場面や拳銃を持つ場面などはクラシック映画の中にいくらでも見本があるだろう。そこでは単なるひとつの場面が無駄なく簡潔に、しかしながら強い印象を持って画面上に表れる。だが、ここで見られるいくつかの映画ではそうした場面がむしろ漠然としたクリシェのようなイメージで語られている。習作だからこそ余計に感じるレファランスの貧しさ。この貧しさは後々いかに技術的にうまくなろうが、どこまでいってもすでにある傑作群の先に行くことはできないのではないか。演出や撮影、照明等の技術が比較的しっかりしているからこそ余計にもったいなく感じてしまう。
3本目の『見通しの良い道』の冒頭の場面。雨の中、バーから出た女を柳ユーレイがジャケットを脱いで優しくかけてやり、身体を寄せ合ってふたりで小走りに奥の方へ消えて行く。そうした何ともない場面にほろっとする。この作品に限らず他の作品にもそうしたほろっとさせる場面が転がっている。これがスタートラインなのだろう。今後の作品も引き続き見てみたい。

ユーロスペース「藝大映画週間」