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June 15, 2007

ル・コルビュジエ展@森美術館
梅本洋一

[ architecture , cinema ]

 ノマディック美術館が「仮構」されたお台場から「りんかい線」と「埼京線」を乗り継ぎ、恵比寿で東京メトロ日比谷線に乗車し、六本木で降りて、「ヒルズ」に向かう。ル・コルビュジエ展を見るためだ。6月の晴天の日は蒸し暑い。お台場も蒸し暑かったが、六本木ヒルズはもっと暑い。それに高層建築物の間に吹きすさぶ突風でぼくのキャップが吹き飛ばされそうだ。53階にある森美術館に上がる。ここはノマディック美術館の「仮構」性とは正反対の都会の圧倒的なモニュメントだ。なぜ今ここで『ル・コルビュジエ展』をやるのかは簡単に理解できる。このビルのオーナーが彼の絵画のコレクターであり、森会長のル・コルビュジエ好きはつとに有名だ。六本木ヒルズの建築の理由も、ル・コルビュジエの「光の都市」を借りて説明されている。都市の真ん中に高層の建築物を建てれば、周辺の土地が空き、都会に緑が増える、公共に供される公園が増えるという。確かに、ここの52階に1500円払って登り、そこから東京を見渡すと、絶景だ。ぼくの住む集合住宅も遙か彼方に確認できるし、「みなとみらい」の蘭路マークタワーの向こう側には三浦半島も見える。そして、この絶景を見ながら毎度思うのは、ぼくらが、遙か下の地上に這いつくばってあくせく生きている現実だ。
 ヒルズに対する批判は別のところにも書いたし、今回はル・コルビュジエだ。
 彼の絵画には毎度のことだが、あまり興味が持てない。彼の高弟だった坂倉準三設計の東急文化会館──承知のようにもう壊されて、地下に安藤忠雄設計による東京メトロ渋谷駅が建造中だ──の1階にあった映画館パンテオンの緞帳で、ぼくらは小さい頃から彼の絵画に親しんでいるせいかもしれない。ぜんぜん珍しくない。今回の展示──かなり「教育的」なテーマ別、クロノロジックな展示方法だった──で一番興味を持ったのは、マルセイユのユニテの1パターンと有名なカップ・マルタンの休暇小屋が実物大で展示されていたことだ。ユニテの展示に入ると、階下のリヴィング・ダイニング、そしてメザニーヌに上階に設えられた夫婦の寝室、子供室。見事な構成で、人が住むことに対する考察が行われており、ぼくらが住んでいる住宅の構成に与えている彼の影響の大きさが納得できる。
 一方のカップ・マルタンの休暇小屋の展示は、やはりこれだけでは納得できないだろう。余りに小ぶりに見え、もちろん、必要最低限の生活が営めるすべてがあるのだから、ル・コルビュジエの究極の空間がここになるのは頷けるだろうが、彼が30年も通い続ける情熱を共有するのは困難だろう。だが、一度でも、モナコからマントンに向かう途中にこの岬を訪ねたことのある人なら、まさにこれだけで必要十分であると思う。この小屋の外側に広がるのは、太陽が沈んでいく海と、その向こう側にモナコを挟んで地中海につきだしたもうひとつの岬であるカップ・ダイユが見通せることを知っているからだ。
 もちろん、ぼくには、あんな楽園に30年も通うことは許されない。ユニテに極めて近い空間の中で、森ビルの展望台から見下ろす地上に蠢くひとりとして暮らしているからだ。

森美術館 「ル・コルビュジエ展 建築とアート、その創造の軌跡」