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June 21, 2007

『ゾディアック』デヴィッド・フィンチャー
梅本洋一

[ cinema , cinema ]

 人はとても長い間ある事件とその首謀者に魅了され続ける。
 1968年のサンフランシスコ。そこで始まる連続殺人事件。フィルムは、建国記念日の夜、郊外の空き地にクルマを止めたカップルに、後走するクルマから降りたひとりの男から何発も銃弾が浴びせられることから始まる。やがて犯罪声明がサンフランシスコ・クロニクル紙に送られてくる。奇妙な暗号文と共に。「ゾディアック」の始まりだ。
 やがて、この事件はサンフランシスコ市民を恐怖に陥れることになるが、何年か経ち、スクールバスから降りてくる子どもをひとりずつ射殺するという声明が実行に移されないことから、次第に人々の記憶から忘れ去れていくことになるだろう。だが、忘れることができない男たちもいる。サンフランシスコ・クロニクル紙の担当記者ポール・アヴェリー(ロバート・ダウニー・ジュニア)、市警察の担当刑事だったデヴィッド・トスキ、そしてクロニクル紙のマンガ挿絵担当者のロバート・グレイスミス(ジェイク・ジーレンホール)だ。三人は、それぞれの方法で、「ゾディアック」を追いつめるが決定的な証拠がない。
 フィンチャーは、グレイスミスが後に書いたノンフィクションを原作にこのフィルムを撮った。連続殺人ものとは言っても、このフィルムは決して残酷性を表象するフィルムではない。退社したり、担当を外されたりしつつも、この事件とこの首謀者に魅了され続ける三人こそがこのフィルムの主人公だからだ。20年以上の時間が2時間37分という時間に詰め込まれている。一度離婚しているグレイスミスは、再婚し──新妻を演じるのはクロエ・セヴィニだ──、子どもが生まれ、時間は確実に流れていく。だが、ゾディアックは捕まれない。捕まれないがゆえに、ますます彼らはゾディアックに惹き付けられていく。事件から4年後に、この事件からインスパイアされたフィルムが撮られる。ドン・シーゲルの『ダーティー・ハリー』だ。その上映の折、グレイスミスとトスキが出会う。映画の中でハリー・キャラハン刑事(イーストウッド)は、スコルピオ(さそり)を追いつめ、競技場で彼の足に何発もマグナム45の銃弾を見舞うが、ゾディアックは無傷のままだ。
 社を辞め、ゾディアックを元にした書物を書くことに専心しようとするグレイスミスは、次第に、ゾディアックがかつて仕事をしたことがある映画館を訪ねることになるだろう。すでに閉館した映画館、その映画館に勤め、つまりゾディアックの同僚だった撮影技師に会う。彼が好きだった映画は『Most Dangerous Man Alive』。アラン・ドワンの遺作であり、かつてヴェンダースが『ことの次第』のネタにしたフィルムでもある。タイトルは、まるでゾディアックそのものだ。「まだ生きているもっとも危険な男」。
 暗いビルの影、誰もいない都会の舗道──それらの代わりに図書館や資料室や映画館や自室といったアクションとは正反対の場所ばかりがこのフィルムに映し出される。知りたいことを知ることができないがゆえに、もっと知りたいと欲望が生まれ、その欲望によって、三人の男たちは確実に標的に近づいていく。だが、深夜に突然かかってくる電話の向こう側からは、荒々しい息づかいしか聞こえないように、すべては知り得ない。まるで中心に置かれたブラックボックスに向かって螺旋状に漸近線を描くように、このフィルムは進んでいく。無為な時間だけが重く感じられる。デヴィッド・フィンチャーは新たな世界に遭遇しているようだ。

丸の内プラゼール他全国ロードショー中