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January 6, 2008

ラグビー大学選手権準決勝
慶應対明治 34-27 早稲田対帝京 21-7
梅本洋一

[ sports , sports ]

 慶應対明治は、明治の出来のお粗末さに閉口。だってディフェンスの組織がまるでできていない。FWのサイズで劣る慶應がライン攻撃で来るのは、当然分かっていることなのに、ここでもまたFW勝負ばかりを口をしている。ゲームというのは、どうやって勝つかをまず考えるものだろうが、それには、相手をどうやって封じるのかという思考が先行する。だから慶應は、絶対的に劣っているスクラムを避けようとするだろうし、自陣を背負ってのスクラムは最悪であり、それを避けることからゲームプランが構成されていくだろう。そして、もし自陣を背負ってのスクラムになった場合は、時間を稼ぐことを考え、何とかタッチキックに持ち込む方法を考えることから出発するだろう。
 そして慶應は、それを実践し、明治はFWの優位を信じることしかしなかった。慶應の実践は、FWが劣勢の場合、PKはタッチを選択せず、ゴールを狙って点を取ることを第一と考えているのも正解。事実、後半の立ち上がりは自陣を背負うスクラムで点を取られる悪い流れから始まったが、PGによる貯金で逃げ切ることができた。それにしても明治のSOはお粗末。スキルの面で大学選手権に出場するレヴェルにない。
 そして、早稲田対帝京は接戦だったが、接戦らしくない不思議なゲームだった。確かに帝京は善戦したが、その善戦は、個々人の負けない気持ちに依るものが大きく、どうやって勝つかというゲームプランがあったとは思えない。早稲田が、五郎丸、有田、長尾を欠いても十分にやれると思ったのは、抵抗戦の圧勝が原因だろうが、出来そのものは、それほど悪くなかった。単にラグビーとはメンタルなスポーツであって、「気合い」が入れば、ディフェンスだけは頑張れる。そして、早稲田の幼いBKラインが熱くなってどんどん勝負してくれれば、一層僅差のゲームになる。このゲームはそんなゲームだった。だが、帝京の勝ち目はまったくなかったように見えたし、中竹も本当は安心していたのではないか。
 接戦の原因は、だから帝京の「気合い」と早稲田BKの若さ。山中と両センター、そしてFBに年齢と関係のない老獪さがあれば、早稲田が圧勝できたろう。老獪さとは何か。熱い相手に冷水を浴びせることだ。絶対に相手を倒そうとする帝京の選手たちを背走させることだ。つまり、ランとパスで勝負するのではなく、キックを主体にゆっくりと勝負することだった。BKの選手たちのファーストチョイスは全部キックでも良かったろう。覚来と豊田で敵ボールのラインアウトになっても30%程度はスティールできたかもしれない。中竹は性格上、選手たちに判断を委ねたろうが、無理に接戦を強いなくてもよかったのではないか。ラグビーはスコアのゲームだ。そして強いチームは合理的にスコアリングをするために、いくつも選択肢を持っているものだろう。型に拘らず、それほど強くないように見えても終わってみれば大差のゲームをクリエイトするのも悪くないと思うのだが。
 さて決勝戦の予想だが、真っ向勝負でも早稲田が勝つだろう。だが、もし早稲田がさらに上を目指すのなら、もっと多様なオプションをゲームの中で試す最後のチャンスが対慶應戦だ。誠実さとひたむきさは、両チーム共通しているだろうが、そこに老獪さを加えられるのは早稲田だろう。慶應はこの日の帝京のように「死ぬ気」で来るだろうから、冷水を浴びせて、ゲームを「殺して勝つ」レッスンを実行して欲しい。