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January 12, 2008

『アメリカン・ギャングスター』リドリー・スコット
松下健二

[ cinema , cinema ]

 主人公である麻薬王フランク・ルーカス(デンゼル・ワシントン)と刑事リッチー・ロバーツ(ラッセル・クロウ)は、「正義」について反対方向から実践を試みる、対をなすコインの裏表のような関係にある。
 麻薬を牛耳るギャングスターは、ギャングといえども単に私欲に目が眩んで荒稼ぎしているのではなく、ある独自の「正義」に則して、麻薬事業に身を投じる。その「正義」とは、彼が15年間運転手として仕えた師であるバンピーから受け継いだもので決して社会全体の幸福に奉仕しようというような方向には向わないが、日陰でしか生きられない人間にとっては精一杯の「正義」である。しかし、バンピーが亡くなってしまえば彼にそれを行使するための権力はなく、暗黒街には無法者がのさばることになる。だから、何より彼は自分の「正義」を貫くために、タイのジャングルの奥地のケシ畑へ自ら足を運んでまでして、ギャングスターへとのぼりつめるのである。ギャングスターになってしまえば、彼はその「正義」を貫くためならなんだってする。裏切り者をしばりあげてガソリンを掛けて燃やしたり、白昼の繁華街で敵ギャングの頭を打ち抜いたり、ギャングスターのやりそうなことはなんでもする。
 一方、刑事にとっての「正義」とは、同僚たちが当然のように不正を働くなかにあっても、自分だけは押収した100万ドルをネコババしない「正義」であり、司法試験をパスして法的に真っ当な統制権を与えられる「正義」であり、ひとたび管轄を超えてニューヨークに入ってしまえば、突如として失効してしまう「正義」でもある。しかし、彼にとっての本当の「正義」とは、何も定められた法に忠実に行動することではなく、法に制限されながらもあくまで個人的な「正義」を貫く「正義」である。
 つまり、麻薬王は彼の「正義」を貫くために「権力」を金で買い、刑事は与えられた「権利」を行使する。二人を隔てるのは、単に彼らの置かれた境遇でしかなく、二人は同じ精神に従って行動しているのである。やがて二人は協力して悪を駆逐するが、長い時間が過ぎてしまえば街には以前何一つ変わらない光景が広がっているだけで、決して「正義」が報われることもなくただただ虚しさだけが残るのである。


2月1日全国ロードショー