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February 6, 2008

『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
宮一紀

[ cinema , sports ]

 それにしてもティム・バートンは徹底的に大人たちに死を与え、子供たちに生を与える。それが彼のファンタジー作家としての倫理であろう。先日テレビで放映された『チャーリーとチョコレート工場』(2005)では、様々に残虐な機械に回収されていった子供たちが、最後の最後でどういうわけか〈生〉だけは奪われずに帰還するのであった。結局のところ、文字通り〈子供〉の頃からティム・バートンを見てきたあなたや私のような若い映画ファンにとって、ティム・バートンはつねに〈生〉を与えてくれていたように思う。『スウィーニー・トッド』でもまた彼は倫理を貫いている。
 善良な男から最愛の妻を奪い去り、判事という社会的な地位を盾に幼い少年たちを問答無用で絞首刑に処し、養女として屋敷に囲って育てた少女を自分の妻にせしめんとする、そのような子供の敵であるところの変態は、当然期待通り我らがジョニー・デップによって首を掻かれるのであるが、ティム・バートンのフェティッシュは多くの罪のない人々の喉を次々とかっ捌き、その遺体を二階から地下室までダストシュートを使って落下させ、そのすでに物言わぬ哀れな身体から最後に首の骨の折れる濁った音までも聞き出そうとし、さらにその肉の塊を粉砕器にかけてミートパイにしてしまう。人肉ミートパイはフリート街の人々にたいへん好評のようであった。
 大人たちは「大人である」という唯一の理由によって次々と食肉加工されていく。思い返せばたったひとりだけ生還した客があったが、彼は理容室に子供を連れて来ていたのだった。命の惜しい者は常日頃子連れでいるといい。いずれにせよ、ティム・バートンは自身の内縁の妻であるヘレナ・ボナム=カーターまでを焼却炉に放り込み、ご丁寧にも焼かれる彼女と焼いたジョニー・デップとを蓋越しに切り返してみせる。そうしてエンドロールが流れるにいたって、私たちは残された三人の子供たちに想いを馳せる。ティム・バートンに〈生〉を与えられた彼らはいったいどこへ向かうだろうか。そして、私たちはいったいどこへ向かうだろうか。