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May 28, 2008
『丘を越えて』高橋伴明梅本洋一
[ cinema]
銀座にルパンという文壇バーがあるという。ぼくは行ったことがない。1928年開業のバーで、「里見・泉鏡花・菊池寛・久米正雄といった文豪の方々のご支援を頂きました」とルパンのサイトに掲載されている。『丘を越えて』の撮影は、このバーのシーンでクランクインしたということだ。菊池寛に扮する西田敏行と文藝春秋社重役の佐々木茂索に扮する島田久作が、このバーのカウンターで「モダン日本」の出版について話し合っている。カウンターの向こう側でふたりに給仕するのは、監督夫人でもある高橋恵子だ。カウンターの木の素材が時代を感じさせ、薄暗い照明が、今ではない別の場所に連れて行ってくれる。
菊池寛の私設秘書として働くことになった細川葉子(池脇千鶴)、そして「モダン日本」の編集に携わる朝鮮人の若い編集者・馬梅松(西島秀俊)、そして菊池寛の3人が繰り広げる昭和中期のひとときがこのフィルムのすべてだ。「モダン日本」の実際を見たことはないが、海野弘の書物でその内容を知ることができるし、いわゆる「両大戦間」の一時代、戦争への鼓動を聞きながらも、モダニズムに向かう世界的な都市として東京も例外ではなかった。このフィルムは、その時代を誠実に描こうとしている。「彼女を見たまえ。なりはモダンそのものだが、心は江戸だよ」。菊池寛は細川葉子を見て、そう言う。当然、細川葉子は、この時代の東京の象徴であり、細川葉子の姿を借りて、菊池寛は自らのことを語ろうとしたのかも知れない。どの人物もそうした二重性を抱えていて、今野勉の脚本は、それを丁寧に描き抱きだしている。
だが、このフィルムは必ずしも成功しているとは言えないだろう。銀座にはバー・ルパンは残っているけれども、西島秀俊が住む洋風のアパートをロケするためには御殿場の小山町に行けなければならない。モダンに発展する東京を描くためには、どこか別の都市の一部分を東京にしなければならない。もし撮影所が十全に機能していたなら、こうした物語と主題は、映画の大きな力を示したことにもなるだろう。巨費を投じて撮影所にモダン都市・東京をつくればいい。だが、現実の東京はもうモダン都市ではない。銀座にまだ残る古いビルの地下には、こうしたモダニズムが残存しているが、銀座そのものも、今、巨大な再開発の波に呑み込まれそうになっている。ルパンの近くにあったモダニズムの傑作建築だった交詢社ビルも2002年に姿を消した。菊池と細川が遅いディナーをとる帝国ホテルのダイニングは、フランク・ロイド・ライトの設計だが、その帝国ホテルが姿を消したのは1966年のことだ。今、こうしたモダニズムが残っているのは、数少ない「老朽化」したビルと、それらのビルの地下に残存するルパンを始めとする何軒かのバーだけだ。現在の銀座をフィルムに映そうとすれば、たとえば黒沢清の『回路』におけるように、夜明けの時刻に車を走らせるか、再開発中の巨大都市の姿を単に直視するしかなかろう。銀座も変わり、そして、映画も変わった。
シネスウィッチ銀座、新宿バルト9ほかロードショー
投稿者 nobodymag : May 28, 2008 01:20 PM
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