« previous | メイン | next »

October 16, 2008

W杯アジア予選 日本対ウズベキスタン
梅本洋一

[ sports , sports ]

 あれは今から11年前のことだ。季節はちょうど今頃。考えてみると、日程は今回よりも1年遅かったようだ。日本対ウズベキスタン戦。山形映画祭の最中だった。まだ最終上映が残っているというのに、ホテルに戻ってゲームを見た。その前のカザフスタン戦に敗れて加茂周が解任され、岡田武史が初采配をふるったゲームだ。おそらくあのゲームに敗れればフランスの本大会に参加できなかっただろうあのゲーム。終盤までもどかしい展開が続き0-1。タイムアップまで数分を残して、岡田はパワープレイに出る。センターバックの秋田を前線に上げ、そこをめざしてロングボールを放り込む。最後にボールは秋田をかすめて、ゴールマウスに吸い込まれ、日本はなんとかドローに持ち込んだ。
 あれから11年経っても何も変わっていない。秋田の代わりにトゥーリオがFWに上がり、そこにボールが放り込まれるだけ。だが、今回は、11年前よりもずっと危機感は薄いようだ。そして、今回は前半終了直前に1-1に追いついていたという差異はある。だが、岡田のフットボールは11年前と変わっていない。何が変わっていないのか。ぼくらにワクワクさせるフットボールを見せられないという一点において。これはW杯の予選であって、求められるのは結果であり、ゲームの内容ではない、と解説の山本昌邦は正論を繰り返す。だが、すでに、ぼくらは、イビチャ・オシムのフットボールを見た。ユーロのオランダを見た。スペインを見た。フットボールとは本当に自由なスポーツであることを実感した。走って空間をクリエイトし、創造された空間を高速のパスが走り、両サイドから早いクロスがゴール前に送り込まれ、フォローした2列目、3列目がそこに走り込むダイナミックで自由闊達なフットボールを楽しんだ。そして、素晴らしいフットボールが、退屈なフットボールを駆逐する様を見た。だからフットボール観戦は辞められないと実感した。
 だが、岡田武史は、そんな快楽的なフットボールを楽しめないようだ。ウズベキスタンのカウンター狙いは最初から分かっていた。バックラインと中盤の並びを見るだけで、アタックよりもスペースを消しに来ているのは素人でも分かったろう。そこにハイボールを送り込むトゥーリオの頭の悪さには目を覆った。ワントップは玉田だ。ぼくよりも背が低い。頼れるFWがいないのは最初から分かっている。だから、そう、だからこそ、このチームの自慢の中盤での早いボール回しで相手をおびき出し、玉田、大久保がディフェンスの裏を取る。それしか方法がないのに、まずパスが遅い。ワンタッチのパスがないので、容易に空間を埋められてしまう。長くて速いパスでサイドチェンジできる中盤は俊輔ひとり。この展開で遠藤をボランチにおいては前戦までが遠すぎる。長谷部は相手のアタックを遅延させるのはよいが、味方のアタックまで遅延させてしまう。遠藤を一列前に出し、俊輔とのパス交換で活路を見出すこともしない。交代にも説得力がない。何よりも岡田の余裕のない表情が、ぼくら快楽的なフットボール・ファンには気に入らない。スポーツはゲームであり、ゲームである限りにおいて、見る者を興奮させることが最低条件であって、良いフットボールをすることは、勝つためである。だから、勝てばよいのではなく、勝つために良いフットボールをすることが必要なのだ。かつて良いフットボールをしても負ければ意味がないと言われていた時代があった。だが、ユーロでのスペインの勝利とロシアの好成績を目の当たりにしたぼくらは、良いフットボールをすることは、何よりもゲームに勝利するためであることを知った。
 岡田は少なくともフットボール快楽主義者ではないようだ。