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October 17, 2008

『SOUNDTRACK FOR D-BROS』阿部海太郎
宮一紀

[ book , music ]

 阿部海太郎の2枚目のアルバム『SOUNDTRACK FOR D-BROS』がシアタームジカから発売されている。渋谷PARCOなどに直営店を持つシアタープロダクツのショー音楽や、溝口健二の無声映画『東京行進曲』上映の際の伴奏、最近では第9回東京フィルメックス・コンペ部門への出品も決まったばかりの映画『PASSION』の音楽(★1まったく新しく見事な解釈によるガーシュウィン)を担当するなど、実に多岐に渡る活躍を見せる阿部海太郎が、かねてから交流のあるプロダクトデザイン・ブランド、D-BROSのために制作したサウンドトラックが本アルバムである。
 本アルバムには、7つの曲からなるサウンド・ストーリー「ホテル・バタフライ」と、3つの優雅な組曲、そしてそれらの合間に挟まれたオーボエとファゴットのための小品などが収録されている。それぞれのサウンド・ストーリーや組曲の成り立ちも興味深いが、ここでは長くなるので省きたい。
 前作『6, Rue des Filles du Calvaire, Paris』同様に、本アルバムにもフィールド・レコーディングによって集められた音源が数多く散りばめられている。1曲目の「ホテル・バタフライ」では、冒頭から汽車の汽笛、波打つ水の音、虫の音などが聴こえてくる。静まり返った空間に鳥の声がこだまし、堅い足音があたりに響き渡る。そして誰かが建物の中に入り、呼び鈴を軽く叩く。そこはホテルの受付だろう。それから重たそうな扉を開け、大きな機械が動き出す。古い型のエレベーターに乗ったのだ。しばらくして部屋の入り口の鍵を回す音が聴こえ、ベッドの上に荷物が投げ出されると、古くなったバネが軋む。灯りがつけられ、窓が開くと、夜の虫の音がいっせいに部屋の中に入り込んでくる。
 阿部海太郎の音楽にはいつも奇妙な広がりが感じられる。それは音源と鑑賞者との距離に関わっている。通常の音楽アルバムとは違い、ここで聴かれるいくつかの音源は、いったん任意のフィールドにおいて阿部自身の手によって採録されたものであり、それが再びスタジオで楽曲の中に封入されたものである。また、ミュージック・コンクレートにおいては音源がそのまま具体音として音楽そのものに回収されるのに対して、阿部海太郎の採録した音源はどちらかと言うと物語の方を向いている。小鳥のさえずりの中を疾走する自動車の音(前作1曲目「Lettre à un certain Monsieur Masakatsu Takagi, écrite à Untertürkheim en Allemagne」)や汽車の汽笛(本作1曲目「Hotel Butterfly」)といった劇的な要素がアルバムの冒頭を飾るのは、そのような物語的な「幕開け」を意味している。だから私たちと音源とのあいだにはフィクションとしての複数の空間が立ち上がり、それは言ってみれば音源に対する「遠さ」として現れる。少なくとも私はその遠さを「親密さ」に対置しようとは思わないが、ある種の客観性とは通じるものがあるかもしれない。その客観性はちょうどサングラスをかける感覚にも似ている。世界を見つめながら、そこから幾分か遮断されている感覚。一歩引いたところで幾分か醒めた感覚に晒されながら、しかし世界はすぐ目の前に広がっているという取り留めのなさ。私が阿部海太郎の音楽から感じるのはそうした奇妙な現実感である。

なお、本アルバムの発売記念ライヴ・ツアーが11月から全国6都市で行われる。詳細はシアタームジカ・ウェブサイトにて。

シアタームジカ


また、CDリリースを記念して、D-BROSの代表的な作品や、今回のアルバムにまつわる様々なプロダクトを集めた展示が青山Spiral Marketにて開催中(11月5日まで)。

スパイラル


★1 上記レヴューについて阿部海太郎氏ご本人より有用な情報をいただいたので、ここに若干の加筆をしておく。

 以前書いた『PASSION』についてのレヴューの中でも触れたように、阿部氏が「音楽」としてクレジットされている『PASSION』では、メインテーマとしてガーシュウィンの『3つの前奏曲 第2番』が少なくとも3度使われている。うろ覚えなのだが、1度目はピアノ・ソロ、2度目はヴァイオリン・ソロ、そして3度目はピアノとヴァイオリンの合奏だったと記憶している。若い男女が繰り広げるめくるめくダイアローグが進行するにつれて、美しい旋律がピアノとヴァイオリンのあいだを揺れ動きながら徐々にその距離を近づけていく危うさに感動したことを覚えている。
 そうした『PASSION』における音楽的な意匠に関して阿部氏から情報をいただいた。「ガーシュインの解釈にはじまり、音楽的な創意」は濱口監督自身のものであり、阿部氏の参加が決まった時点でこの作品における音楽の構想はすでに決まっていたということだ。
 『PASSION』と『SOUNDTRACK FOR D-BROS』について私の書いたふたつの評を通して、もし誤った情報が伝わるとすればそれは本意ではないのでここに加筆をしておく次第である。併せて、わざわざ拙文に目を通し、ご指摘いただいた阿部氏に感謝したい。
(11月4日加筆)