« previous | メイン | next »

March 10, 2009

『あとのまつり』瀬田なつき
梅本洋一

[ cinema , cinema ]

 このフィルムに出会えたことが素直に嬉しい。こんなことはそんなにあることではない。ぼくは、もう少年ではない。ぼくは、もう少女に出会っても心がときめく歳ではない。でも、かつて、そう、もうずっと前だ。そんなことがあった。でも、それは一度きりしかなくて、もう絶対に戻ってくることもない。二度と起こらない何かが、ずっと前に起こった。そして、このフィルムの少年少女のようなことは、きっと、否、ぜったいに誰にでも起こっている。そして、ぼくらは、そんなことが起こったことさえも忘れて、「激動する世界」の中で、怒り、悲しみ、憤り、空しく毎日を過ごしている。
 もちろん、このフィルムに登場する少女も少年も、同じように「激動する世界」の住人だ。ひととつながること。他のひとと一緒にいること。別の人と通信すること。動いていく世界を実感すること。そんなことの全部がわずか一日の中で、あるいは、この短い19 分のフィルムの中で起こってしまう。昨日と同じ今日が来ないこと。さっきと今とは違うこと、今と未来とは異なること。
 考えてみれば、そういったことのすべては映画だ。動いていく写真である映画だ。もう元には戻れないけど、かつてはこうだったことを目と耳で教えてくれる映画だ。そう言えば、素晴らしいフィルムは、いつも、そういう映画の根源的な信じがたい力を教えてくれた。『大人は判ってくれない』も『勝手にしやがれ』も、そして、ルノワールの『ピクニック』も、代わっていく世界を実感する若い人たちがそこにいた。
 ここにいるのは、横浜の日本大通りから、突然、「ゆりかもめ」の湾岸に走っていってしまう少女と少年だ。記憶をなくしてしまうという変な病気がはやっているらしい。だから、会う人には、「はじめまして」と挨拶しよう。交わす会話も、今見る風景も、この時間も、この記憶も、今しかない、だからとても貴重なものだ。だから「はじめまして」。オートバイを倒した先輩にあげたノンシュガーの缶コーヒーの「熱さ」も今しかない。誰もいない「貸し切り」状態の「ゆりかもめ」から見える東京の湾岸の風景も今日しかない。誰が決めたか知らないけど、オリンピックの予定地になってしまった埋め立て地も、ずっと先は競技場になっているか廃墟になっているかぜんぜん分からない。予定地なのは今だけだ。
 そして少年と少女は、「とっておきの今」を最後に体験する。それは映画を見てのお楽しみだ。ぼくは、何十年経っても「とっておきの今」をとてもよく覚えている。

桃まつり presents kiss ! 3月14日(土)~3月27日(金) 渋谷ユーロスペースにて連日21:00より!