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March 19, 2009

追悼・フランチシェク・スタロヴィエイスキ
宮一紀

[ cinema , design ]

 ポーランドの画家で映画ポスターを数多く手掛けたフランチシェク・スタロヴィエイスキが先月亡くなった。
 1960年代以降、世界中で映画が盛り上がる時期が訪れる。東欧でのそれは多分に宣伝用ヴィジュアルとともに受け入れられることになるのだが、そこには50年代後半の自由化と、自由化以降も実質的に続いたソ連の実行支配という背景があったことは否めない。東欧におけるグラフィック表現とは政治的な暗喩の純度の高い結晶である。イエジー・スコリモフスキはポーランド時代に制作された『手を挙げろ』(67)において、ポスターに描かれたスターリンの目玉が誤って4つ印刷されるというシーンを入れたがために上映差し止めとなり、その後国外逃亡を余儀なくされたという過去をインタビューで語っている。東欧の優れた映画ポスターのほとんどはそのような拮抗した政治的な駆け引きの中で生み出されてきたし、検閲によって葬られた作品も相当な数に上るにちがいない。
 フランチシェク・スタロヴィエイスキのポスターもまた例外ではない。1930年生まれのスタロヴィエイスキは、ワルシャワの大学で美術教育を受けた後、50年代から映画や演劇のポスターを手掛けるようになる。彼の作風は一言でいえばとても暗い。髑髏や眼球、身体の欠損といったモティーフが頻出し、画面は極端に彩度に欠け、そこにいびつな手書き文字が添えられる。もちろんそれらのイメージは、彼の手掛けるポスターの多くがクシシュトフ・ザヌッシ、ジョルジュ・フランジュ、ロベール・ブレッソン、アンジェイ・ワイダ、ルイス・ブニュエルといった監督たちのものであったことと無関係ではないだろう。映画作品に登場する社会的不安や別離、あるいはもっと端的に死という主題がポスターに落とし込まれていることは一目瞭然である。だがそれにしても、当時はポーランドが東側陣営に取り込まれた直後で、理想化された共産主義を称揚するだけの楽天的で単調な「明るい」ポスターが量産されていた時代である。ポーランドにとって、そしてポーランドのポスター芸術にとって不遇の時代と目されるこの時代、ヤン・レニツァ、ヤン・ムウォドジェニェツら一握りのたいへん優れたポスター作家たち(どちらもすでに鬼籍に入っている)とともに「ポーランドの映画ポスター」という確固たる世界を築き上げ、だがスタロヴィエイスキはただひとり、まさに時代そのものをポスターに焼き付ける作業を黙々とこなし続けた。


wajda1968.jpg『すべて売り物』(アンジェイ・ワイダ、1968)


zanussi1971.jpg『家族生活』(クシシュトフ・ザヌッシ、1971)


bunuel1972.jpg『ブルジョワジーの密かな愉しみ』(ルイス・ブニュエル、1972)