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April 8, 2009

『シャーリーの好色人生と転落人生』佐藤央&冨永昌敬
鈴木淳哉

[ cinema , sports ]

冨永昌敬監督と佐藤央監督とは偶々幸運なことに知遇を得て以来、尊敬してやまない大先輩である。そうしたわけで背筋を正して試写に望んだのだが、二人の作品ともにすっくと格調高い。どうやら2作品には多くの美女が登場するようなので、少し底意地悪い気もするが、それぞれの女性に向ける視線を意識して鑑賞した。
水にぬれたアスファルトを歩く裸足の女の足音が佐藤央監督の『好色人生』に聞こえる。これは別に比喩表現ではなくて、実際にそうしたシーンがあるのだが、『好色人生』全編を覆うのはこの湿度、水っぽさ、湿り気であり、女たちの口元からも唾液の発する粘着質な音が聞こえてきそうだ。鬱蒼と草が茂っている川沿いの道を抜けて、シャーリー、中内がたどり着いた屋敷、河津家の庭では、夏生さち演じる河津寛子がご丁寧に水撒きをしているのだから湿度はいや増すばかりだ。佐藤の懐には、湿度を画面に充満させることにおいては当代随一の芦澤明子という取って置きのカードがあるのだから自信満々、嬉々として画面をつなぐ手さばきはシーン間にきっちり眼張りをするかのようだ。そこへある女性を追って、つまりは湿度の低いというかなんと言うか全面的に乾ききったシャーリーという男が転がり込むわけだから、自然と湿度は乾いたところへと吸い寄せられる。佐藤にとってこの映画で描くべき女とは、湿度である。お色気ムンムンというやつだ。
一見するとただの馬鹿のようだが、一方でこちらの誰何を拒絶するような油断のできないところのあるシャーリーという男に、佐藤はムンムンの湿度の中を走り回らせ、その湿度をしっかりと吸い込ませた。かくして水も滴るいい男になったシャーリーは、『転落人生』へと向かうわけである。
冨永昌敬監督の『転落人生』においては、映画を覆う空気はどこか風通しのよさを感じる。不義密通の横行する孤島を舞台にしながら、である。それは登場人物たちが、東京←→タコ島(かな?)間の移動を繰り返し、そのつど、その背後にそれぞれの土地の風を感じさせるからだ。男も女もそれぞれ誰かを探し、ひとところに長くとどまることはない。
相変わらず冨永は専ら美女めがけて小さな艱難辛苦を浴びせかけるが、もちろん当の美女たちはどこ吹く風で、けろりと目的のための歩みを止めようとはしない。冨永映画に登場する女性はいつもタフだが、それゆえ魅力的なのではなく、そのタフさのありようが美しい。そう思えば女性に対する演出も、演者にある特定の意図を表現させるのではなく、演者をある状況の中に置いてみて、演者からにじみ出てくるものを辛抱強く待っているように思える。つまり冨永の視線は、俳優を信じる強い確信に満ちており、それが彼の映画の格調を高めている。男女の睦み合いが何度か登場するが、まったくいやったらしい感じがしない。冨永はとても上品な手つきでセックスをする。かどうかは知らないが、丁寧に、上品にセックスを撮るのだ。

『シャーリーの好色人生と転落人生』4/11(土)〜4/24(金) 連日20:30〜 池袋シネマ・ロサにて 2本立てレイトショー!