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April 13, 2009

『一緒にいて(Be with me)』エリック・クー
結城秀勇

[ cinema , sports ]

 タイプライターにセットされた真っ白な紙が、愛の言葉で埋められていく。ゆっくりとした文字の歩みが次第に文を形作る。"Is true love truly there?"。この声なき問いかけは、続く一文によって条件付きで肯定される。もしあなたの温かい心があれば、と。
 何人かの登場人物たちがこの声なき問いを、それぞれのやり方で投げかける。雑貨屋の店主、警備員、女子高生。彼らはほとんど声を発することがない。それはそうすることができないからではなく、逆に彼らが真に語りかけるべき人を持っているからこそなのだと言った方がいい。しかしながら、その相手との間には、様々な意味で環境の違いがあって、彼らの言葉はなんらかの道具を介して届けられる必要がある。手紙、Eメールやチャット、文書、そして料理。
 正直なところ、黒みを帯びたスタイリッシュな色調で、沈黙の多いコンセプチュアルな構成で、上記のような細かなストーリーがときにお互いに関係しあうだけの映画であれば、私はここまで心を動かされることもなかっただろう。だがそこにテレサ・チャンという、盲で聾という障害を持つ老婆の実人生が介在し芯を為すことで、映画の強度が格段に増す。冒頭の、声もなく文字の羅列でしかない問いかけも、いたずらに奇をてらったのではなく必然性があったことがわかる。
 いや、この映画の魅力を、起伏のある人生を歩んだ人物が実際に登場していることに留めてしまうのならば、それもまた不十分だ(そしてテレサ・チャンだけでなく雑貨屋の店主を演じている男性も俳優とは思えない異様な存在感を持っているが、彼は一体何者なんだろう)。だから、この映画の疑いようもなく確かな魅力を一点だけ挙げるとすれば、この中で作られ食べられる料理が本当にうまそうだ、ということだ。これはドキュメンタリーとフィクションなどという仰々しい問題を遙かに越えて明白な、この映画の力である。序盤で、警備員の男によって「消費」とでも呼ぶのが正しいような食い方をされる缶詰や屋台の料理、そして雑貨屋の店主によってひとりぶん余計に作り出されてしまっていた料理が、テレサ・チャンの登場によって、確かなコミュニケーションを成立させるものになる。正しく作られた料理が正しく食べることのできる者の口に運ばれる。その過程のすべてを含めて美味しそうで、美しい。

 カンヌ映画祭監督週間の40年間を振り返るこの日仏学院の企画を追っていると、様々なものが予期せぬところで繋がってくる。例えば、この映画を見れば『ブリュッセル1080、コメルス海岸通り23番地のジャンヌ・ディエルマン』のデルフィーヌ・セイリグがこねる挽肉や淹れるカフェオレを思い出してしまうし、『ジャンヌ・ディエルマン』も『自由の代償』も『愛のコリーダ』も貨幣や肉体の流通を通して愛の在処を探り出す作品だった。別にこれらの作品が監督週間にセレクションされた理由に共通点があるなどと言うわけではないのだが、作者も時代も製作された国も違う15本のフィルムを見るということには、様々な国の料理が出てくる謎めいたコース料理のような楽しみがある。そしてもちろんひとつひとつの作品に他の作品と出会ってもぼやけてしまわない確かな味がある。


「カンヌ映画祭「監督週間」の40年をふりかえって」4/27まで東京日仏学院にて。『一緒にいて(Be with me)』は4/19 19:30からも上映あり