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June 15, 2009

『ウルトラミラクルラブストーリー』横浜聡子
梅本洋一

[ cinema , cinema ]

 彼女のフィルムを初めて見た。つまり、これが長編2作目の横浜聡子だが、ぼくは彼女の処女長編を見ていない。もし画面やそこに盛られた物語に大きな特色を感じることができるとき、その作り手を仮に「映画作家」と呼ぶなら、彼女はまちがいなく「映画作家」である。冒頭から聞こえてくるけたたましいヘリコプターの騒音、その騒音に負けないくらいに、主人公・陽人を演じる松山ケンイチが発するノイズと意味との境界線上を走る音韻と、エグザジュレイトだれた身振りの数々、そして、彼の住む青森の田舎町に保育士として勤務することになる町子(麻生久美子)が周囲を取り囲むような子供たちのノイズと、ぼくらには簡単に理解できないような青森方言の音韻の数々、さらにその上に加算される大友良英の音響。「静かな農村」とは正反対の、沸き立つようなノイズで噎せ返るような農村。ぼくは『地獄の黙示録』のヴェトナム戦争とヘリコプターの騒音を思い出してしまった。つまり、この特色あふれる世界を創造する人は「映画作家」と呼ぶに相応しいだろう。
 陽人は「ふつうの人」とはちがう。何かの障害(おそらくアスペルガー症候群?)を持っているらしいが、そのことはフィルムの中に名状されていない。そして、陽人の「異質性」は、このフィルムにおいて、別に気にならない。なぜなら、横浜聡子が生成するこの世界は、最初から異質であって、ぼくらがリアリズムを感じる世界とは異なっているからだ。まるで幾重にも折り重なったノイズがその音源とは無関係に耳に共振する都会の交差点のような青森の農村──それに比べたら陽人の異質性など取るに足らない。つまり、そこに住む人にとって、陽人は異質でも何でもない。だが、その異質性を感じることができる唯一の登場人物である町子も、その農村を訪れた理由が、彼女の恋人が事故で亡くなり、まだ首が発見されておらず、その村に住む「いたこ」(舞台は青森だが、下北半島ではない)のようなおばさんに話を聞くためだとすれば、彼女もまた俄に信じがたい存在であって、その異質性において遜色はない。
 ぼくらは、どこを切り取っても異質性において同一であるそんな「世界」を2時間の間ずっと覗き込むことになる。もちろんこの作品が映画である限り、主演の二人は何らかの関係を持つことになる。陽人が「町子先生!」と連呼する限りにおいて、それはタイトルの通りラブストーリーでもあるのだろうが、奇妙な臨死を繰り返す陽人の看病をすることになる町子の側でそのことを説明することはない。横浜聡子は、ひととひとが繋がることを描いたと言っているが、残念ながら、繋がることの「抜き差しならない瞬間」がぼくらに伝わってこないのだ。状況設定の奇想天外さ、そこに広がるけたたましいノイズの世界が極めて詳細に描写されているのだが、ぼくらは登場人物を信じられるまでに至らない。なぜなのか? その理由を簡単に記すことは難しい。だが、その大きな理由のひとつは、この世界があまりに異質である──それこそ横浜聡子が映画作家であるいちばん大きな理由だ──がゆえに、ぼくらは、最後まで、この世界を別世界としか感じられず、まるで潜望鏡か天体望遠鏡から別世界を覗いている行為から抜け出ることができないだろう。かつてのロッセリーニ的なテーゼを思い出す。映画は、世界を映す窓でもあるのだ。ぼくらは映画という窓から世界を知るのだ、というテーゼだ。

ユーロスペース、シネカノン有楽町2丁目、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー