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April 25, 2010

『脱獄囚』鈴木英夫
結城秀勇

[ cinema ]


 窓辺に立った人間の太ももから上がまるまる見えてしまうような、高さ150cmはあるだろう大きな窓が、正面にみっつ並んだ住宅。小川一夫の手によるこのセットによって、練馬区にあり、近所にプールや市場があるらしい、池部良と草笛光子の平凡な家庭は、どこか現実感をはぎ取られたような空間になる。自分を捕まえた刑事への恨みからその妻の命を狙う脱獄囚による監視と、その監視に気づきながらも囮として開け広げられた窓。すぐ真向かいにいながらも、磨りガラスの窓の一部を砕いてのぞき見る視線と、それを意識しながらも無関心を装う夫婦の視線は、見る者を誘い込む大きなフレーム越しに交わることはない。
 獄中で恋人の自殺を知った死刑囚(佐藤允)は、死刑判決に関わった人間本人ではなく、その妻の命を狙うことで復讐を果たそうとする。この思考の大きな迂回を、追いかける刑事(池部良)はまったく理解していないように見える。まるで潜入捜査で夫婦に偽装した刑事のように、妻を利用してでも犯人を捕まえる方法を彼は淡々と見つけるだけだ。そこには無関係な妻を巻き込んでしまった負い目や、当事者たる自分をではなくその妻を復讐の対象にした犯人への怒りなど微塵もない。大きな窓から視線を誘い込み、自らはその先から姿を消して、視線の背後に回り込む。最後に灯りの消えた室内で繰り広げられる三つ巴の追跡劇の末、佐藤允の背後に草笛光子が、さらにその背後に池部良が亡霊のように姿を表す瞬間には、汗ばむような熱帯夜であるはずの画面の中に背筋の凍るような何かが忍び込む。もうそこではいったい誰が誰を追いかけているのかもわからなくなる。感情に基づく追跡は姿を消して、純然たる配置がそこに残るだけだ。


シネマヴェーラ「映画作家・鈴木英夫のすべて」