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October 21, 2010

長岡輝子追悼
梅本洋一

[ music , theater ]

 池部良についての文章を書いたとき、『早春』での彼と長岡輝子との会話について書いた。そして、今日、新聞の死亡欄に長岡輝子死去の記事を見つける。享年102歳。老衰によるとあった。
 一昨年のことだったか、草思社から出ている『長岡輝子四姉妹──美しい年の重ね方』(鈴木美代子著)という本を読んだ。突然、長岡輝子に感心を持ち始めたわけではない。10年近く前からだろうか、亡くなった安堂信也氏から、長岡輝子さんの話を聞いたことを思い出したからだ。
 1960年代の文学座。今では考えられないくらい豊かな演目が並んでいる。イオネスコやベケットの演目がたくさんあって、演出はほとんど安堂さん。そして、そんな中に『パリ繁昌記』なんていう演目がある。第七回岸田戯曲賞受賞とある。作は中村光夫、そして演出は長岡輝子だ。どんな話なのだろう?
図書館で中村光夫全集の中から読んでみよう。他に長岡輝子演出作を拾ってみると、マルセル・エメの『クレランバール』、アーノルド・ウェスカーの『大麦入りのチキンスープ』、フェルナンド・アラバールの『戦場のピクニック』なんていう超前衛もある。60年代の長岡輝子の華々しい活躍が目に見えるようだ。
 そんな中に安堂信也訳演出によるベケットの『ああ美わしの日々』(『しあわせな日々』)もある荒木道子(荒木一郎の母)主演だ。「荒木さん、ベケットの台詞ぜんぜん覚えられない。あんたの訳が悪いのよってえらい剣幕だった」と安堂さんから聞いた。もちろん荒木さんはベケットの台詞を完璧に覚えて、見事に演じたそうだ。後に、この戯曲を初演したマドレーヌ・ルノーが、日本で再演した舞台を安堂さんと見たことがあったが、安堂さんは「ひょっとしたら荒木さんの方がうまいかもしれないね」と言っていた。そのとき来日にしたマドレーヌ・ルノーは『ハロルドとモード』も演った。老婦人と青年の話。これの日本語版は長岡輝子が演じたものだ。ジャン=ルイ・バロー夫人でもあったマドレーヌ・ルノーと長岡輝子は、ひょっとすると知り合いだったかも知れない。というのも、長岡輝子は1928年に女優になるためにパリに赴き、シャルル・デュランの許で演技を勉強しているからだ。ルノーがコメディ=フランセーズに入ったのは1921年のことだから、知り合いではなかったかも知れないが、最低限、長岡輝子はルノーの舞台は見ているにちがいない。長岡輝子のパリ滞在は父の病によって長く続かなかったが、岸田国士はもちろん、同時期にパリにいたはずの岩田豊雄(獅子文六)も含めれば、両大戦間のパリの舞台という魅惑に満ちた世界が、今日まで東京にある文学座という劇団の中心的なエンジンになっていることは明らかだろう。
 長岡輝子が小津や溝口の映画で演じたのは、田舎者の母や女中の役が多かったが、本当の長岡輝子は東洋英和に学びパリに留学した同時代としては極めて教養があり世界演劇の中心に立ったこともある女優だった。それにしても、当時の教養人たちは、なぜパリの演劇に引かれたのだろう。それもピトエフでもジューヴェでもなく、シャルル・デュランの周囲にばかり日本人たちが集う。久生十蘭というペンネイムがシャルル・デュランから来ていることも周知の通りだ。この辺りの研究書はほとんどないようだ。ゼロ年代がヨーロッパへの興味をまったくなくしてから、長岡輝子や安堂信也といった先人たちが、大きな努力をして日本語の中に移築した「新劇」の伝統などすっかり忘れられてしまった。