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November 22, 2010

『森崎書店の日々』日向朝子
梅本洋一

[ cinema ]

 片岡義男の新刊短編集『階段を駆け上がる』に収められた7篇の短編の中に『雨降りのミロンガ』という素敵な短編がある。地下鉄の神保町を出ると雨が降っていて、そこで主人公は20年ぶりの偶然ある女性に会う。その女性は、20年前「ミロンガ」のウェイトレスをしていて、主人公はそこの客だったという話だ。「ミロンガ」とか「ラドリオ」とか「さぼうる」とかを知っている人には、とても吸引力のある短編だ。ぜったいに神保町に行きたくなる。ぼくも、2時間だけ時間があったので、久しぶりに神保町に行ってみた。まだ午前中だったので、そういう喫茶店は開店時刻の前だった。だから「伊峡」でワンタンメンを頬張ってから、映画を見ることにした。『森崎書店の日々』だ。
 神保町の小さな古書店「森崎書店」の転がり込んだ、恋に破れた姪と書店主の話。神保町オールロケ。若い女性映画作家・日向朝子にとって、この映画は、「東京を撮る」ということだったそうだ。神保町でロケされた映画を神保町シアターで見るのは、ちょっと魅力的なことだ。『勝手にしやがれ』をシャンゼリゼの映画館で見るようなものだ。映画館の外も、そしてスクリーンで見る風景も等質なのだ。この日は最終上映日だったので、最初の上映からかなり多くのお客さんが入っていた。かつて東洋キネマのあった街には、映画館なんかひとつもなくなってしまったが、神保町シアターができて、しかも日本映画についての、ひねりの利いたプログラム(「こんな酒場で飲みたい」なんてのもあったね)でお客さんを集めている。ぼくも、成瀬の見逃していた作品などを見に、ここに何度か足を運んでいる。神保町で半蔵門線を降り、書泉グランデの裏道を通って──つまり「さぼうる」の脇を抜けて、すずらん通りに出て、東京堂で新刊──三省堂とか書泉ではなく新刊はなんとなく東京堂で見たい──を見て、もう一度、裏通りに入って、「ラドリオ」と「ミロンガ」の前をワザと通って、神保町シアターに行く。まっすぐに行けばいいものを、文字通り紆余曲折しながら歩くのが神保町っていう感じだ。
 さて、問題の映画の方は? 悪くなかった。話もミニマルだし、場所も限られているので、大きな話にはならないけれども、それなりに「東京が撮れていた」と思う。誠実な映画だったと思う。でも、ちょっと無い物ねだりをしたい。確かに古書店は、心のふるさとというか最後の拠り所みたいなところではあるのだが、神保町を考えてみると、駿河台下の交差点周辺は、ものすごい変わり様だ。明大が高層になり、カザルスホールの持ち主が日大になり、おそらくこのホールがなくなる。もっといろいろな商店があったと思うが、ほとんどがギターを中心にした楽器屋になっている。ぼくが、この辺を徘徊していた30年以上前に比べると若い人がずっと減っているように感じられる。つまり、『森崎書店の日々』の周囲にも、大きな東京の変化が迫っている。古書店といえども、そうした変化と無縁でいられることはないし、書物というものさえも、そうした変化から身を守る防護壁ではない。『森崎書店の日々』という映画には、そんな変化が見えていない。
 映画を見終わってから「ミロンガ」にも「ラドリオ」にもどうも入りにくいのは、それらがノスタルジーの対象でしかないからなのだろうか? その辺のところはよく判らない。だからなのか、偶然なのか、映画を見終えたぼくは、「ミロンガ」でも「ラドリオ」でも、そして「さぼうる」でもなく、スタバに入ってエスプレッソを飲んだ。戸外からは小春日和の外光が差しこみ、そこには20年ぶりに再会する女性なんかいなかった。


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