« previous | メイン | next »

January 6, 2011

『アブラクサスの祭』加藤直輝
梅本洋一

[ cinema , cinema ]

 暮れから正月にかけていろんな人が死んでいく。ブレイク・エドワーズ、そして高峰秀子……。ここ7〜8年、ブレイク・エドワーズのロマンティック・コメディを再見したり、成瀬の『浮雲』や『流れる』を授業で何度も見て、高峰秀子の凄さを感じていた。もちろん数年前のオスカー授賞式で、もう歩けなくなって車椅子で移動し、それでもギャグを飛ばしているブレイク・エドワーズの姿を目にしているし、その傍らに唄を歌えなくなったジュリー・アンドリュースもいたので、ちょっと哀しい気持ちになってはいた。決して映画の何かを革新したわけではないけれども、『パーティー』などを見れば、すごい才能があった人だったことは誰にでも分かる。ヘンリー・マンシーニの曲と一緒に、この人の連続上映なんかやってくれないかな?
 『アブラクサスの祭』にも、死が充満している。舞台が福島の田舎にある寺で、もとノイズ・ミュージシャンの禅僧・浄念(スネオヘアー)の顛末が描かれているのだから、寺の廻りに死が横溢しているのは当然だ。今は僧侶なんだけど、ホントは音楽をやりたくって……。フランス語だとavoir mal dans la peauという表現が思い当たる。これだけ書くと、加藤直輝には似合わない主題じゃないかと思えるが、そんなことはない。この映画に登場する「ほっしゃん。」(すごくよかった)と同じで、いろいろ大変かも知れないが、加藤直輝は、立派に演出している。「ほっしゃん。」も自ら進んでやっているわけではないけれども、実家の和菓子屋を継いでいる。浄念の妻を演じているともさかりえも、最近の日本映画には欠かせない人材だと思う。
 しかし圧倒的なのはレナード・コーエンだ。彼の「ハレルヤ」を浄念=スネオヘアーが海辺で演奏する。大友良英の音響がすごい。海の唸るような音響を越えてしまうようなレナード・コーエンの「ハレルヤ」と、それを演奏するスネオヘアー。淡々とした日常に、何となく折り合いが会わず、そして、少しだけ心が通い合った「ほっしゃん。」ももうこの世にいなくなってしまう。絶望を越えて音楽が鳴り響く。このシーンがあることで、この映画は勝利を収めてしまうようだ。この圧倒的な海と音響を前にすると、生きていく上の悩みなんてちっちゃいことだ。死が横溢しているこの世界だけど、ぼくらは、それでも(死ぬまで)生きていくしかない。