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February 23, 2011

『苦悩』マルグリット・デュラス原作 パトリス・シェロー演出
梅本洋一

[ theater ]

 シアター・カイでのわずか2夜に限った上演。デュラスの『苦悩』と『戦争ノート』から、シェローと女優ドミニク・ブランが選択したテクストが、ブランの声によって発語される舞台。シェローによると、当初は朗読会として企画されたが、会を重ねていくうちに。ドミニク・ブランから、もう台本を持って舞台に上がる必要がないので、演出して欲しいと頼まれた、ということだ。だが、もちろん、登場人物を増やしたり、音響効果を入れたりすることなく、わずかな照明の変化と最小限の小道具とブランの空間移動を足し算しただけで、舞台の上でたったひとりの女優がデュラスのテクストを語るという原則は崩していない。
 1945年4月と5月のことが語られる。パリ解放から8ヶ月が経過し、収容所に送られた人々の帰還が始まっている。レジスタンスに加わって逮捕され、収容所送りになった夫ロベール・Lを待ち続け、レジスタンスの闘士であるフランソワ・ミッテラン(後の共和国大統領、テクストの中ではミッテランよりもモルランと呼ばれる)とD(ブランの声を聞いているだけだと、このDという人物の存在がとても曖昧に聞こえる──隣人なのか? 愛人なのか?──調べてみると、Dとはディオニス・マスコロであり、当時は、マルグリットの愛人であり、ロベールとディオニスは、共にレジスタンスで闘った)の助力で、ダッハウの収容所にいたロベールは救い出される。死体が散逸する「立ち入り禁止区域」に入り込んだ場所で、痩せこけたロベールが、「フランソワ」と小声でミッテランを呼ぶ。この場面を物語るドミニク・ブランの口から「フランソワ!」という呼び声が漏れる。死体の中でまだ生存している声として「フランソワ!」は、感動的だ。
 そしてサンブノワ街のアパルトマンへの帰還。高熱、やっと流動食をスプーンで数杯受け入れられるだけの身体。濃い緑色の粘るような、異臭を発する排泄物。アパルトマンの階段を運び上げる件から、生と死の境界線上をさまようロベール・Lの身体の変容ぶりを、感情を込める言葉とは正反対の物質的な言葉で、ラストの「おなかが空いた」の一言まで淡々と語りきるドミニク・ブランの力量に感動する。もちろん、その感動を生む大きな力はマルグリット・デュラスの言葉の力であることは論を待たない。ぼくらは、『苦悩』に限らず、デュラスの言葉が屹立する場面を何度も見てきた。映画で一例を挙げれば『アガタ』を思い出せばいいだろう。あのフィルムでも、ビュル・オジエの身体と、デュラス自身の声が、映っているノルマンディーの海岸の寄せては返す波のように波動してぼくらに迫ってきた。
 ところで、現実のマルグリット・デュラスは、1947年にロベール・アンテルム(ロベール・L)と離婚し、ディオニス・マスコロと結婚し、その年にディオニスとの間にできた男の子を産んでいる。
 確か1993年のことだった。パリのあるレストランで食事をしていると、背後で人々の囁く声が聞こえてきた。「デュラスよ!」「デュラスにまちがいないね!」ようやく歩くことができる老いた女性が、中年男性に付き添われて席に着くところだった。そのレストランはプチ・サンブノワという19世紀からあるビストロだった。中年男性はヤン・アンドレア。デュラスは、1940年からずっとサンブノワ街に住み続けた。