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April 26, 2011

『引き裂かれた女』クロード・シャブロル
梅本洋一

[ cinema ]

 小説家のシャルル・サン=ドゥニ(フランソワ・ベルレアン)が、テレビで天気予報をやっているガブリエル・ドゥネージュ(リュドゥヴィーヌ・サニエ)に狙いを付け、彼女を最初に誘う場所はオークションだ。父ほどの年齢に達した小説家に惹かれた女性は、彼女に一目惚れした金持ちのどら息子(ブノワ・マジメル)の誘いを振り切ってオークションに出かける。若い女性に、オークションに行かないか、という信じがたい誘惑手段を用いる初老の小説家。そしてオークション会場。「ぼくが興味を持っているのは次の物件だ」。テーブルをたたきながらオークションを仕切る男が紹介する。「さて、次の物件は、ピエール・ルイスの『女と人形』の初版豪華本です。まずは……」と初期のオークション額を設定する。数名の競合者を振り切ってサン=ドゥニは『女と人形』を落札する。
 たまにはテレビのインタヴュー番組にも出て、営業に励まなければ、という女性編集者の勧めでテレビ局を訪れたサン=ドゥニは、お天気嬢に目を付け、彼女の母が経営する小さな書店でのサイン会に参加する。オークションへの誘いが行われるのは、その小さな書店でのことだ。このフィルムの物語は、想像の通り。女性は小説家の手に落ち、郊外の大邸宅で妻と暮らす小説家が、執筆用に街中に借りているアパルトマンで、ふたりの逢瀬は続いていく。彼女を追い回す金持ちのどら息子……。評判の高い(ことに自ら自信を持っている)自作の書物とピエール・ルイスの『女と人形』という2冊の書物の間に、このフィルムが成立しているようだ。この小説はジョセフ・フォン・スタンバーグがマルレーネ・ディートリッヒ主演で『西班牙狂想曲』として、デュヴィヴィエがブリジット・バルドー主演で『私の体に悪魔がいる』、そしてブニュエルが『欲望のあいまいな対象』として何度も映画化している。ファム・ファタルと堕ちていく男の話だ。
 だが、このフィルムは決して『女と人形』のリメイクではない。ディートリッヒやバルドー、そしてブニュエルが主演に起用したキャロル・ブーケと比べても、このフィルムのリュドゥヴィーヌ・サニエは、もっと世俗的でファム・ファタルにはもの足りない。それに、シャブロルの眼差しは、女性や欲望の内部に向けられてはいない。もっと外観的だ。何よりも小説家とお天気嬢の逢瀬を粘着力のある描写で描いたりしない。シャブロルの目論見は異なる場所にあるだろう。
 このフィルムには、誰にも分かり、シャブロル自身も認めている別のレフェランスがある。20 世紀初頭のアメリカで実際に起こったスタンフォード・ホワイト事件だ。たとえばミロシュ・フォアマンの『ラグタイム』、否、それ以上に、リチャード・フライシャーの『夢去りぬ』だ。若い女性(ジョーン・コリンズ)を秘密の部屋に囲い込み、そこにあるビロード製の赤いブランコに彼女を乗せるレイ・ミランドの姿を思い出す人もいるかもしれない。この映画のブノワ・マジメルは、ファーリー・グレンジャーだった。
 だが、ここでもシャブロルは、逢瀬の場所に豪華な深紅のビロードのブランコなど設置せず、「天国」と名付けられたアパルトマンに見えるのはベッドと仕事机だけだ。さらに重要なことは、ガブリエルが事件の後で仕事にする叔父の奇術師の助手という職業。どこまでも、シャブロルは現世に留まり続けた。この世界も、ピエール・ルイスやフライシャーの分厚いレフェランスを保ちつっつ、別の世界への突破口などないように。