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June 25, 2011

『サウダーヂ』富田克也
結城秀勇

[ cinema ]

 昼休憩の時間が終わりに近づき、味噌ラーメンを食い終えたふたりの男は冷房の効いたラーメン屋を出る。その戸口で彼らは、呼吸と共に急激に襲いかかる熱気にむせかえるようにしながら、大きく伸びをする。そして、「こんな日に仕事しちゃだめっすよねえ」。
 ただそれだけのことで、その暑さを理解する。山梨の夏がどんなものかは知らないし、その暑さの中での肉体労働の経験があるわけでもない。でもなんとなく、生まれ育った地方の盆地特有の暑さを想像し、もしかしていまもこんなふうに、その熱気の中で汗水流して働いていた自分もあり得たのではないかと想像する。それは単に、知識や経験の共有からくる共感や好意とも違う気もするし、郷愁みたいなことともちょっと違う。こうでもあり得たのにそうはならなかった、そんな自分の姿がそこにあるような気がする。ポルトガル語はまったくわからないが、もしかして「サウダーヂ」という言葉にはそんなニュアンスがあったりするだろうか。
 妻がいながらタイパブの女の子ミャオに入れ上げている精司(鷹野毅)と、かつてタイに暮らしていたというどこか謎めいたビン(伊藤仁)。そこに地元で人気の出てきたHIPHOPグループ「アーミーヴィレッジ」を率いる天野(田我流)やブラジル移民、怪しげな水を売りさばく団体などが複雑に絡み合うこの作品のストーリーを簡単に説明することなど出来ないが、逆にここにあるのは一言でまとめることなどとても不可能なスケールのでかさそのものだ、と言ってもいい。
 日の出と共に働き出し、日が暮れて家に帰る。そんなシンプルな労働の姿の裏側で、不穏な噂が登場人物たちの背景を次第次第に覆っていく。世間話のレベルで広がっていく不況のイメージ。あるいは他愛もない口コミの噂のようにして販売網を広げていく怪しげな水。そこでは噂や世間話といったものが、ほとんど神話や民間伝承のように機能し、そこにいる者を縛り付け、動かす。土を掘り返して地球の反対側まで行けばブラジルだ、そんな半ば冗談のような台詞さえも、まったく根拠のないことではない。ここは少し地面を掘り返せば、人種や階級による区別などすぐ入り交じってしまうような場所だ。甲州弁もポルトガル語もタイ語もラップも、それぞれのリズムと韻を持ちながらひとつの場所で混じり合う。そこはただすべてが等価でフラットな空間なのではない。ひとつひとつは他愛もなく、均等に存在しているかのような情報が、濃度を変え、淀み、凝り固まったとき、そこに住む者たちの行動はそれらに支配されている。


 こんなことを書くと、フラットな経済システムとは違うやり方で、不均等な濃度の情報によってこそ高まる期待の中で新作を世に放とうという、まさにいまの空族を取り巻く状況そのもののようでおもしろいが、それも当然かもしれない。『サウダーヂ』に映っているのはやはりいま私たちが住むこの社会のひとつの姿に他ならないからだ。同僚や家族のような身近な人間よりも、ミャオやタイに住んだことのあるビンの方が「懐かしい感じがする」と精司は語る。その感じを、この映画を見る観客はそれぞれに得るだろう。それは私にとって「暑さ」というかたちを取ったが、おそらく見る者ひとりひとりに応じたまったく違う変幻自在のかたちとして、あらゆる観客に与えられるもののはずだ。


サウダーヂ 吉祥寺バウスシアターTHEATER 1 にて6月26日20:10〜爆音上映!

『サウダーヂ』公式ホームページ