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September 20, 2011

『ソラからジェシカ』佐向大
高木佑介

[ cinema ]

 “地域発信型映画”企画の一本として、千葉を舞台に撮影された今作。だが、佐向大のこの新作短篇のベクトルは、そうした「企画もの」の枠組みを大きく越えた場所へと向けられていると言えるだろう。実際、『マッチ工場の少女』(90)を否応なしに彷彿とさせる一連の見事なショットによって映し出される落花生工場は、もちろんロケ地である千葉という土地の地域性を十二分に担っているのだが、他方で、海外からの出稼ぎ労働者が流入してくる、ある種の国際性がふと垣間見える舞台としても描かれている。職業斡旋所の職員のちょっとした手違い――「ナッツ」と「ナース」の聞き間違い――によってその工場でしばらく働くことになったペルー人看護婦のジェシカ(ロザーナ)と、そこで働く毅(陣内智則)のふたりの存在は、そのような意味でもとても象徴的だ。いつかはその地を離れていくことになる外国人労働者と、「俺にはこの仕事しかない」と語りつつ小さな落花生工場に留まる男。外の人間と、内の人間の出会い。明らかに相容れなそうな、そんなふたりの微妙なやり取りがとても良い。外から内へ、内から外へと人々を運んでいく成田空港を背景に展開される彼らのぎこちないやり取りは、だから、寡黙な男と女の恋愛物語の様相を見せていると同時に、絶え間なくモノやヒトを動かし続けるこのグローバルな世界そのものの、そして、そうした世界と決して無関係でいることのできない私たち自身の生活の鏡としての相貌を獲得しているようでもある。工場のラインを絶えず流れていく落花生がいつかはどこか外へと運ばれていくように、この映画で描かれる“地域”とは、その地に留まろうとする慣性と、そこに流入し通過していく外部からのベクトルが絶えず交錯する現場そのものだ。一見すると、この映画が見つめる風景はほとんど何でもないような場所にしか見えない。とはいえ、そういった何でもないような風景こそが、かつて内なるものと外なるものの闘争の最前線であった三里塚という土地の現在形を的確に物語っているのかもしれない。さらに言えば、この『ソラからジェシカ』が見つめるそうした「何でもない場所」から不意に露呈される、さまざまな力学が交錯した世界の光景は、近年であればたとえば『サウダーヂ』(11)や『NINIFUNI』(11)といった作品が見つめていた風景と、決して遠いものではないように思えるのだが、どうだろうか。


CINEMALINK第10回・9月21日19:30分より、『ランニング・オン・エンプティ』(監督・佐向大)とともに上映予定