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November 22, 2011

『フライング・フィッシュ』サンジーワ・プシュパクマーラ
高木佑介

[ cinema , cinema ]

 東京フィルメックス・コンペ部門の一本。開映前に「小津安二郎に捧げます」という監督からの言葉がアナウンスされたこの作品は、スリランカにおけるシンハラ人(政府軍)とタミル人(反政府軍)の内戦を背景に描かれた若手映画監督のデビュー作である。冒頭に映し出される、夕陽が沈んでいくスリランカの海辺をとらえた一連の画の美しさには目を見張るものがあったが、まるで鬱屈した時勢に対する感情を吐き出すかのように、途中からこの映画は少しばかり奇異な描写をとらえ始めていくことになる。『ワイルドバンチ』ではないが蟻をタバコの火で焼き殺すシーンであるとか、特に明確な理由もないけれど魚を石で叩きつぶすシーンであるとか。その他にも、虫やネズミ、犬といった生き物たちが物語とは関係なしにそこかしこに大写しで挿入され、上記のようなショッキングな描写と相まってか、この映画に奇妙な相貌を与えているのだ。
 もちろんそれらの映像は意図的に配されたものであり、上映後のQ&Aにおける監督本人の言葉によれば、それらの映像はひとつの「暴力」の形態を捉えようとしているのだという。うろ覚えではあるが、つまり、内戦で人間同士が争う暴力のほかに、普段はあまり暴力と意識されることのない「暴力」をあえて描こうとしたとのことだった。だが、そういった作り手の「意図」ないし「狙い」は、聞けば理解はできるのだけれど、映像そのものからはどうも別の印象を受けてしまう。さほど台詞の多くない間延びした映像の数々も、時間が経つにつれて、目の前にある現実や人々の姿を真摯にとらえようとしているというよか、すべてが作り手の意図であったり心理であったりの単なる抒情的な「表現」に没してしまっているように思えてきてしまうのだ。たしかに、この映画がとらえる家族や恋人といったある種の共同体に次第に亀裂が入っていくという流れがあることは理解できるし、皆が一様に見せる鬱屈した表情や、風光明媚な自然をよく言えば詩的にとらえた映像からは、この監督の「表現」に対する強い意志が感じられはする。しかし、結果的にはそれらによってこの映画がひどく小さいものに見えてしまうのである。たしかに、終盤に映し出される男女の性交シーンが、まさかあんな事態になるとは見ていて思いもよらなかったし、とても驚きはするだろう。でも、ただそれだけのように思えてならないのだ。


 とはいえ最後に、この映画でとりわけ印象深かったシーンについて記しておきたい。それは、とある小学校の場面で、そこでは少年少女たちが授業を受けている光景が映し出される。ボールペンのインクが切れた生徒に教師が自分のペンを与え、新しいペンをもらった少女が嬉しそうなそぶりを見せるという、この映画のなかでも珍しく落ち着いたやり取りがされたかと思ったその直後、画面が切り替わるといつの間にか反政府軍のゲリラたちが教室の脇に立っているのだ。ゲリラのひとりが教師に変わって、かつて存在したというタミル人の王様の話をしながら、黒板にチョークで簡単な世界地図を書く。「ここがアメリカ、ここがヨーロッパ……。この世界の至るところに我々タミル人は存在する。いま我々は自分たちの国を持つために戦っているのだ」と。もちろん、過激な民族主義に賛同するつもりは毛頭ないが、何と言ってもこの話を聞いている生徒たちの表情が素晴らしいのだ。言っていることを理解しているのかしていないのか判別しがたく、でもたしかに何かを感じ取ろうとしているかのようなその微妙な表情。良い意味でも悪い意味でも、何かが子供たちのなかで芽生えようとしているような、その一瞬の「揺らぎ」。学校という権力的な場で迷彩服姿のゲリラが授業するという、どんなショッキングな描写よりも暴力的に見える空間のなかで、作り手の「意図」さえも逃れていくかのように危うく揺らいだこの表情は、何かとても貴重なもののように思えた。


第12回 東京フィルメックス 2011年11月19日(土) ~11月27日(日)有楽町朝日ホールほかで開催中!

『フライング・フィッシュ』は11/23(水)21:15よりTOHOシネマズ 日劇での上映あり