« previous | メイン | next »

September 9, 2013

『La Jalousie(嫉妬)』フィリップ・ガレル
槻舘南菜子

[ cinema ]

jalousie02.JPG
ほぼ2年の歳月をかけていた企画――前作『灼熱の肌』(11)と同様、イタリア、チネチッタを舞台とし、モニカ・ベルッチ、ルイ・ガレル、ミシェル・ピコリ、ローラ・スメットを迎え、映画撮影と現実が交錯していくような作品となる予定だった――が頓挫した後、ほんの数ヶ月で書かれたシナリオと3週間の撮影。フィリップ・ガレル自らもっとも「無意識」に近い映画と称する『La Jalousie』のモノクロ、シネマスコープが捉えるのは、地平線でも横たわる女性の肢体でもない。アパートの一室、パリの郊外の路地、カフェ、公園、劇場……そこに映るのは、彼にとっての起源と言える女、男、そして、子供だ。
父、モーリスの死がこの作品に大きな影を落としているのは言うまでもないだろう。息子、ルイが演じるのは舞台俳優であり、まだ幼い子供と父親、その恋人と過ごす時間を描く『La Jalousie』は、モーリスが主演した初期の短編『Le Droit de visite(訪問の権利)』のほとんどリメイクとなっている。彼を巡る膨大なエピソードの断片――たとえば彼の肩には銃弾の跡があり、フィリップ・ガレルはアルジェリア戦争で負った傷だと長年思っていたが、若い時に恋人と別れたショックで自殺未遂した時の傷であったことを後に知った――を見つけることはいつも通りさほど難しいことではない。だが、ルイであり、父、フィリップの作品にほぼ初出演となるエステール・ガレルが、劇中で兄妹として本名そのままに登場し、『恋人たちの失われた革命』(05)で祖父モーリスの圧倒的な存在感に対して、当然のように欠落していた父親の不在は『La Jalousie』で死んだ父親として語られる。同時に自身の視点がそこにあるとすれば、父親に去られた娘だと公言しているのだから、現実と映画の距離はかなり複雑だ。さらに、これまでのガレル映画で、彼自身が「子供」であった初期の作品を除いては、子供は言葉を奪われた存在であった。今、自身の映画の中で構築できるものがあることがあればダイアローグだけだ、と語るガレルはその子供に決定的な台詞を託している。だが、それは言葉に限ったことではない。
このフィルムのファーストシーンは涙を流す女の顔からはじまる。妻を捨てることを決めたルイは、行かないでと泣きながら懇願する彼女と娘を置き去りにする。とりわけガレル作品におけるモノクロの女性の顔は常に決定的な、もう後戻り出来ない何かを描いてきたことは言うまでもないだろう。女性の顔、誰かを見つめるその眼差しを切り取ってきたはずのフィリップ・ガレルは、不思議なことにヒロインであるアナ・ムラグリスのそれを捉えようとはしない。『愛の残像』(08)でのローラ・スメット、『孤高』(73)のジーン・セバーグ、『秘密の子供』(82)のアンヌ・ヴィアゼムスキー、『彼女は陽光の下で長い時を過ごした』(85)のミレール・ペリエ、私たちはガレルの作品を想起する時、彼女たちの顔を思い出さずにはいられない。アンナ演じるクローディアが舞台稽古中のルイを人影のないカフェで待っているワンシーン。キャメラは不安定に揺れ動きながら、彼女に近づこうと試みるがその顔を捉える一歩手前でとどまってしまう。ガレルは、彼女の存在をイメージとして固定しようとはせず、その印象的なざらりとした声によってフィルムの中にその存在を響かせることを選択する。彼女は理解しがたい不可解な存在であり続ける。その泣き顔すらも一定の距離をもって見つめることにとどまり、顔へのオブセッションはルイの娘であるシャルロットに向っていく。

Jalousie01.JPG

モーリス・ガレルの亡き後、ガレルは『La Jalousie』において喪に服しているわけではない。食卓のテーブルは世代を隔てることはなく、病院で死の淵を彷徨った後、傍らに寄り添うのはもはや彼ではない。革命の不在、ドラッグの不在、世代の隔たりの不在は、彼の映画にのっぺりとした平板さではなく、むしろ瑞々しいほどの軽さと穏やかさ与えている。フィリップ・ガレルは、『La Jalousie』において、「芸術とは何かではなく、生の複雑さ、その中で生き延びることであり、産業の中で映画監督として生き延びることは何かを考えた」と語っていた。フィルムの終わり、『恋人たちの失われた革命』『愛の残像』『灼熱の肌』で自ら死を選んできたルイを待ち受けている運命を見れば、モーリスの物語に仮託しながらも、彼がより現在性に向っていることは明確だろう。死は何かをはじめるきっかけになろうとも、もはや終わらせるためにはない。フィリップ・ガレルが映画作家としてほぼ50年のキャリアの末に到達したシンプルな回答に驚嘆せずにはいられない。


ヴェネチア映画祭、コンペティション部門で上映