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April 7, 2016

『ルーム ROOM』レニー・アブラハムソン
常川拓也

[ cinema ]

 ブリー・ラーソンの主演作としては前作にあたる『ショート・ターム』では、彼女の演じる役名はGraceだった。それに対し本作『ルーム』では、彼女はJoyという名を持って現れる。恩寵とよろこび──ときに皮肉な、そしてときに文字どおりの意味を物語の中にもたらす名前の響きが、短期保護施設を舞台に、ケアテイカーと心に深い傷を負ったティーンエイジャーとの間で築かれる疑似家族/親子を描いた『ショート・ターム』と同じように、誘拐監禁され母となった女性とその実子の間の限りない愛を讃えた『ルーム』でも効果的に使われている。
 第88回アカデミー主演女優賞に輝いた『ルーム』において、ラーソンは閉じ込められた10フィート四方の薄汚れた納屋──それを親子は<へや>と呼ぶ──の中で、幼い息子ジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)にいつくしみとあたたかな愛を全身で懸命に注ぐ。彼女が息子に対してまなざしの繊細な優しさをいつも感じさせる一方で、時折、厳しい表情を滲ませることが印象に残る。柔和な愛情の上に、抱えきれないほどの大きさの悲痛が伺える硬ばった表情、あるいはつきっきりで息子に神経を注ぎ続ける母性愛で消耗した表情を見せるのだ。ラーソンは、心理的に微細な情緒を自然な表情や仕草のニュアンスに込め、等身大で生身の感情を巧みに表現することで、そのたたずまいの細部の中に、極めて複雑な環境に置かれた彼女が抱いているすべての怖れを体現してみせている。我が子への深い愛情と監禁状況の心の苦しみが、ラーソンの顔にあらわされているのである。
『ショート・ターム』で10代後半から20代前半のまだ経験の浅い若手俳優と一緒になって演技をすることでナイーヴな心情を開くよう導いたラーソンは、『ルーム』においても、撮影当時8歳のトレンブレイから真に迫ったイノセントな存在感を引き出しているように思える。そう、<へや>が世界のすべてで外界を何も知らない5歳の幼い息子を演じるトレンブレイが、生き生きときらめく純真な命を映画に吹き込んでいるのだ。勇敢な巨人退治のジャックが、ママを"不思議の国"に落ちてしまったような不条理な悪夢から救い出すが、その方法が死んだフリ──女性誘拐監禁映画の古典として知られるウィリアム・ワイラー『コレクター』でサマンサ・エッガーが試みようとする脱出法のヴァリエーションのようにも思える──、つまり演じるという行為によってであることは注目に値する。
 思うに、ひとり納屋に閉じ込められ、孤立し、反抗してもすべてが無駄だと絶望して生きる気力も失っていたジョイは、憎き誘拐犯との間の子であるジャックを産むことで、断じて愛の生まれ得ない状況、監禁された地獄の中で愛を探し出したのではないか。そして絵本やTVアニメが大好きな、無邪気で元気いっぱいの彼の存在によって、脱出すること、ひいては人生を諦めかけてしまっていた彼女は、苦しみの中でふたたび人生のよろこびを見出してみせる。おとぎ話を語って聞かせるジョイは、空想するよろこびを息子に授けると同時に、彼女もまた愛するジャックによって、ふたたびおとぎ話を信じる力、創造性、生きるよろこびを取り戻すのである。
 エマ・ドナヒューの原作は、徹底して幼く純真無垢な息子を語り手に置き、まだ思慮分別を身につけていないままの視点で語ることで、はじめて世界の様々な物事に触れた時の童心の感覚を私たちに思い出させながら、スキャンダラスな凶悪犯罪を取り上げつつもセンセーショナルに陥ることを見事に回避した。レニー・アブラハムソンもまた映画化に際してジャックの視点から物語ることをベースとし、子どものまだ思考や価値観の凝り固まっていない無意識の感覚を、親密感のあるクローズ・アップを駆使してディテールを丁寧に紡ぎながら、新鮮に映像化してみせたと言えるだろう。『ルーム』は、"被害者"を痛ましく不幸な者として扱って安直に同情や涙を誘う類のものではなく、あくまでも真摯に普遍的な愛や苦難に立ち向かう生の強さを見据えようとしているのだ。そしてドナヒュー自身による新たな脚色が施された映画は、トラウマによってジョイの中に植えつけられてしまった忌々しい呪縛により焦点が当てられているように思える。
 ここで着目すべきは、ジャックのブロンドの長く伸びた髪であり、それが<へや>に閉じ込められた長い年月、歴史を示していることである。生まれてから髪を切ったことのないジャックは、それを切ってしまうと力を失ってしまうと思い込んでいる。彼にとって、長い髪の毛は「お守り」なのだ。<へや>から脱出後、次第に晒け出された現実──心的外傷後ストレス障害(PTSD)だけでなく、"被害者"に寄せられる世間からの好奇な目やセカンド・レイプも含めたリアル──に打ちのめされそうになっているママに対して、その異変をきっと心のどこかで感じ取って心配したジャックは、ポニーテールをばあば(ジョアン・アレン)にハサミで切ってもらうことにする。その行為はジャックが自らの強さをママに捧げることであり、あるいは負の呪いを断ち切ろうとする彼なりの願いに他ならないだろう。映画は、ジャックによる<へや>への「おはよう」ではじまり「さよなら」でおわる。<へや>に別れを告げて、手をつないで外に出た母子の姿を雪がささやかに包み込んでいくと同時に、ジョイに重くのしかかった<へや>という呪縛を彼女から解き放つようにして、カメラは宙を舞うかのような動きをみせる──おぞましくほとんど不条理な恐怖の中でズタズタに破壊された魂が浄化されていく救済の物語として、強く胸に迫るのだ。
『ショート・ターム』と『ルーム』がどちらもセンシティヴな題材を扱っていながらも、思い返すたびにいっそう価値が高まっていくのは、虐待で受けた深い傷により、鬱や摂食障害、PTSDなどに苦しめられている人、愛されることを必要としながらも怖れてしまっている人の日常を見据え、その中から慈愛やよろこびを繊細に掬い取っているからである。精神的つながりをも感じてしまう両作において、呪縛を予め負わされながらも、闇の中でもぬくもりのあるユーモアを保ちながら光であろうと心がけ、人のいつもそばにいることで自分のよろこびと慈愛、そして強さを見出すブリー・ラーソンの比類なき親密なまなざしが、映画全体を輝き立てている。

『ルーム ROOM』 公式サイト